「言葉には、密度がある」気がする

【概要】

  1. 充足すること、満たされることこそ幸せなんだと言う人がいる。
  2. 肉体的な生活に満足感を求めるか、精神が充足することを求めるのか。
  3. 自分が満たされた人の言葉にこそ『密度』が宿っているのかもしれない。

 

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【参考】

かいがいの   蟲師 6話 「露を吸う群」 海外の感想 増補

蟲師 6話 「露を吸う群」 海外の感想(増補)

アニメと一緒にどこまでも! 蟲師 #6「露を吸う群」感想

蟲師 #6「露を吸う群」感想

【展開】

ガンダムパイロットは幸せを謳歌しているッ!!

ギンガナム「このターンXすごいよおッ!さすがターンAのお兄さんッッ!スモーのエネルギーはすべてもらっている!ゲンガナムの電力をいただいたようになァッ!!わかっているのかハリー・オードォッ!!」

ハリー「ユニバァァアアアースッ!」

ギンガナム「月ッ光蝶であるッッ!!!」

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↑∀ガンダム第49話「月光蝶」のこの会話ッ!スゴくない!?

なんというバイタリティ溢れるセリフ!なんか漲ってるよねッ!!

なんだか充実というか満足感の良さを感じるんだよなあ。

 

自分の中にある激情がこれだけ表現できるのって素敵だと思う。

ザビーネ「感情を処理できん人類はゴミ!」

感情の起伏を抑えるのが大人とか言う意見があるけど、パッションを放出することにこそ人間らしさがある気がするんだ。

 

生の実感をどれだけ感じられるかが幸せなのかもしれない。

でも、その実感を豊かさとすれば、それは肉体的なのか精神的なのかによってまた変わってくるから難しい。

じゃあ何を持ってして『豊か』なんだろう。

蟲師の第六話「露を吸う群」は人生の充実感を描いてる…と思う。

「今日も陽が昇り、また沈む。 朝咲く花が首から落ちる。

 今日も陽が沈み、また昇る。 あたり一面花が咲く。

 けれど、昨日とは別の花。(But they are not yesterday`s flowers・・・)

 されど、今日も綺麗な花。(Yet today`s flowers are just as beautiful・・・)」

ナギ「あこや好きだよぉ!」

あこや「私もナギ好きっ!」

父親「あこや~この香吸ってみぃ~気持ちよくなるよぉ~」

 

↓↓↓

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あこや「・・・」

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周囲「老若を繰り返す神秘!生き神!」

ナギ「何かが狂ってる!ヤバい!誰か助けて!!」

 

↑内容はこんな感じ。

あこやは奇妙な花の香を吸った時から、生まれて死ぬまでを1日で体験するようになった。

植物人間のような彼女を生き神と称し、利用して村を支配する父…

 

ギンコ「どうした、調子が戻らんか。(What`s the matter? Still not feeling like yourself?)」

あこや「なんだか、不安でたまらないの。生き神だった頃は陽が暮れて、衰え始めて眠りにつく時、いつも、とても満たされた気持ちで目を閉じられたのに、いまは恐ろしいの。目が覚めてもただ昨日までの現実の続きが待ってる。目の前に広がるあてどない膨大な時間に足が竦む」

 

↑一度はあこやを開放することに成功した蟲師のギンコ。

だがあこやは『満足感の喪失』に苛まれ、人として生きることに恐怖を覚える。

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その結果、彼女はもう一度自らの意志でお香を嗅ぎ、植物人間になってしまった。

 

つまり、あこやは人間的な生活(肉体的)を豊かさとは考えず、精神的に満たされることを選んだ。

傍からみれば彼女は『廃人』に見える。

でも、本人は精神的に充足している。

 

充足を求める時、自分は肉体的なのか精神的な豊かさを求めてるのか。

それってもしかしたらスゲー重要なのかもしれないね。

言葉には、密度があるんじゃないかと思うんだ

ギンコ「お前さん、蟲の時間で生きてたんじゃないかな。

あの蟲は寄生した動物の体内時間を同調させるものだったんだ。

生き物の寿命は種によってそれぞれ違うが、生涯脈打つ回数がほぼ同じと言われてる。

体内に流れる時間の密度はみな違うってことだ。

あの蟲の生涯はおよそ一日、それをお前さんは毎日味わっていた」

 

↑あこやは蟲と命の時間を共有することで、毎日生と死を味わっていた。

それは、老人が老衰で亡くなる瞬間に『悟りを感じる』ような感覚かもしれないね。

 

我々にも想像もつかないくらい、莫大な時間を蟲と同化して過ごしたんだろうな。全てが

あっという間に過ぎ去るほど劇的な生活をしてたのに、いきなり普段の生活に戻されたら・・・

一日で一生を過ごしていたはずがその一日が人生のほんの僅かな時間でしかなかったんだ。

毎日が充実で満たされることは幸せなこと。

でも満たされる方法は色々あるじゃん。

 

例えばスポーツ好きは猛々しさや限界ギリギリの戦闘に充実を覚える人が多い。

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ギンガナムやガンダムパイロットはそのタイプで、闘争本能に身を委ねることで満足感を得ていると思う。

 

他方で、あこやのような満たされ方は愛情や慈愛の揺り籠から来る充実に似てると思う。

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でも、『毎日が衝撃の瞬間に包まれている』ってのは発見や体験から来るものとも言える。

だからあこやの感じる充実は理解し難い。

 

こうして色々考えた結果、エキセントリックな言動に興味を惹かれる理由は言葉に隠された密度なのかなって感じた。

上手く言えないけど、多分、言葉には『密度』が存在している。

そして密度は威勢に深く関係しているんじゃないか。

 

同じ言葉でも、『人や状況によって密度が変わる』んだと思う。

なぜかギンガナムやあこやの言葉には密度がある。

 

もしかしたら『生の実感を自覚している人にこそ、言葉に威勢が生まれ密度が高まる』のかもしれない。

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