【概要】
A:「能登麻美子はウィスパーボイスだよね!」
藤堂志摩子がハマり役過ぎて囁かれたい声優ナンバーワンに!
B:「志摩子さんと浪速乃闘拳二条乃梨子は百合界のカリスマだ」
ファンからは絶大な支持を得ています
C:「天使のような無垢な笑顔は彼女を指しているに違いない!」
なぜ魔法少女になった…(笑)
福沢祐巳「志摩子さんの藤娘!恋する乙女の踊り!流石奥ゆかしい!」
お淑やかに見えて、実は心の中で力強い想いを持っている。
フランス人形に大和撫子の精神が宿ったと考えて差し支えないですよ(*´∀`*)
現代の女性が顔と精神の両輪が回っていないと言われる中で、彼女は貴重なモデルだと思う。
【内容】
藤堂志摩子とは (トウドウシマコとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
担当声優は能登麻美子。彼女を語る上では欠かすことができない、当たり役の一つである。
概要
初登場時は白薔薇のつぼみ(ロサ・ギガンティア・アン・ブゥトン)。ふわふわの巻き毛にブロンドヘアー・青い瞳と、西洋人形のような容姿を持つ美少女。実家はお寺だが、敬虔なクリスチャン。将来はシスターを目指している。
水野蓉子から山百合会の手伝いを頼まれたのがきっかけで、1年生にして佐藤聖の妹(プティ・スール)となる。穏やかで思慮深く、普段は大人しいが、自分の意志をはっきり伝える強さを持つ。彼女の出生には色々事情があり、その関係である程度周りからも距離を置いていた。しかし、聖の妹となって、福沢祐巳や島津由乃といった友人の存在、そして二条乃梨子と姉妹の契りを結んだことで、自分が帰れる居場所を見つけることができたのである。
祐巳や由乃に比べて大人びており、2年生の頃から既に白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の風格を身につけている志摩子だが、実は人一倍愛情を欲して孤独を嫌う寂しがり屋さんでもある。そんな志摩子が時折見せる、儚さや脆さもまた彼女の魅力である。マリみての前半では彼女を巡るエピソードが多く、乃梨子を妹にするまでドラマチックな展開が多い。それ以降は大きな事件もなく、本編にもあまり絡まなくなってしまうのは残念だが(2年次は祐巳とクラスが別になってしまったのも大きい)、乃梨子と新婚夫婦のように初々しいラブラブっぷりは読者を和ませてくれる。また、回を増すごとに小笠原祥子とは違った意味でほわほわとした天然キャラが強調されるようにもなった。
元々百合展開の多いマリみての中でも、志摩子は姉の聖と共にそうした話が公式・二次創作問わず多い。聖とは公式でもある通り、一歩引いた精神的な絆が強調されること中心だが、その反動か乃梨子とはガチ百合になることも少なくない。現に、乃梨子とのカップリングである「しまのり」は、検索すると2人のとにかく甘い絵やSSが多数見られる。
貼り付け元 <http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%97%A4%E5%A0%82%E5%BF%97%E6%91%A9%E5%AD%90>
似ているからこそ惹かれる|百合アニメをこよなく愛している人々へ
そして聖が三年生になり、白薔薇さまとなった春の日に志摩子と出会った事で二人の時間が動き出すことになる。
当初こそ志摩子を意図的に避けていた聖だったが、そんな中でもただ藤堂志摩子という存在を気に掛け続けていた。しかしそれは志摩子も同様に、同じく聖にはどこかしら通じるところがあると悟ってつかず離れずの時間を過ごすようになってしまう。そんな時、二人の関係を突き動かすようにする事態が起きる。
志摩子が入学した年の秋、文化祭も近づいていた時期に祥子が志摩子を妹にすると言い出したのだ。この時はまだ祐巳とは知り合っていなかったこともあり、自身に妹もいない、そして志摩子は山百合会幹部の妹ですらないにも関わらず、聖を除いた薔薇さま二人の意向もあって手伝いを続けていたのだ。その状況にピリオドを打つ為に祥子が妹にしようとしたが、その彼女の意志を垣間見て聖はついに志摩子を妹にする決心がつくことが出来た。
そのまま強引に志摩子を連れ出して、誰もいない昼休みの校舎裏で志摩子と姉妹の契りを交わすのだった。この時の二人には何も迷いなどなく、出会うべくして出会ったのだと語られているところ、そして何より聖自身が以前まで女性と恋愛関係にあったことも含めて、作中屈指の百合姉妹と評するにふさわしい。
その後スールとなったものの、それほど発展した関係性を見せてはいないがお互いに依存した関係を継続していたことは間違いないものの、一方で聖は聖で祐巳を妹のように接するなど、スキンシップとしては時折行き過ぎているともいえるようなことをしては、可愛がっていたところも作中の百合場面としては見所だ。恐らくこの辺りが特に面白いところではないだろうかと、筆者は予測している。
聖と志摩子の二人という、ある種特殊な関係は聖が卒業した後でも何処かしら通じるようなところもあるなど、精神的な繋がりはそのままであるといったことも伺わせるところもある。そして何より作中屈指の百合キャラとして活躍している佐藤聖というキャラも相まって、この作品が百合作品として評価されるようになった理由も説明が付くだろう。
貼り付け元 <http://candyboy.jp/interview/kurenai.html>
志摩子論
・志摩子さんは小学生の頃からシスターになりたかった。
その為中学からリリアンに通う事になります。
↓
・リリアンでは、その身の上ゆえ自分がここにいて良い存在だとは思わず自分が関る事で誰かに迷惑を及ぼしてはいけないと思い込みます。
ますます内向的になり、あまり友達らしい友達も作りませんでした。
↓
・高校になり、運命の人・白薔薇さまと出会い、急速に彼女に惹かれます。
それは、彼女が自分と似ているからです。
そして、山百合会に受け入れられた事も大きい。
「こんな私でも必要としてくれる場所があるなら」
自分の存在意義を確かに持てなかった志摩子さんにとって「必要」とされる事はなにより嬉しい事でした。
↓
・白薔薇さまの妹となる。
聖さまは、まるで同志のように、一緒にいると安心する存在です。
ずっと孤独に生きてきた志摩子さんにとって、自分をこれ以上ないくらい理解してくれる聖さまの存在はとても大きなものでした。
聖さまとなら、何も考えずにただそこにいて良い存在になれるのです。
次第に、志摩子さんは聖さまに精神的に依存するようになります。
↓
・丁度その頃、祐巳という人物が山百合会に彗星のごとく登場。
志摩子さんは、紅薔薇騒動の中 祐巳と親しくなっていきます。
祥子さまが深層心理で求めたほどの、祐巳の人柄は志摩子さんにとって(聖さまにとっても)「こういう風にも人は生きれる」というサンプルでした。
そして、祐巳・由乃改という親友を得ることとなります。
↓
・白薔薇さまが卒業する事で、山百合会にいる必要性が無くなると思う志摩子さん。聖さまがいなくなれば、自分の居場所もなくなるのだと思っているからです。
そんな時にロサ・カニーナこと静嬢が志摩子さんの前に現れます。
彼女の登場により、志摩子さんは自分の意志で山百合会に残る事を決意。これは志摩子さん自ら居場所を作ったという歴史的な瞬間でもあるのです。
↓
・バレンタインデー。
チョコを誰かにあげる、という俗っぽい事を今まで経験してない志摩子さん。
なにしろ部屋には漫画本すらない(?)生真面目な人間です。
しかし祐巳の影響か、お姉さまへの感謝の想いか。志摩子さんははじめてのチョコレートを聖さまのために作るのでした。
↓
・聖さまが卒業間近となり、志摩子さんの精神は揺れ始めます。
聖さまという拠り所を失えば、精神の均衡が崩壊するとさえ恐れます。
それは祐巳という親友でも聖さまの変わりにはならないという事です。
聖さまは志摩子さんの精神を知りすぎている、というか分かりすぎるから志摩子さんを解放へとは導く事は出来ません。
そこにデートすることになった静嬢との接触に、志摩子さんは彼女に「この人は私を救ってくれるだろうか?」と思います。
それは、静嬢が外部を拒絶する志摩子さんの領域にズカズカと入ってこれる存在だったからです。
しかし、静嬢は志摩子さんの内面を引きずり出します。
”いずれ失うものなら、欲しがらないほうがいい”と思ってきた心が、もう得てしまった聖さま・祐巳たちの存在を失う事がどれほど恐ろしいかを思い知ります。もう、独りになるのは嫌だと。
でも、もう”一歩”が踏み出せない。
↓
・ついに聖さまが卒業。
祐巳は志摩子さんに「絶対、どこにも行かないでね」と言います。
祐巳という存在は、志摩子さんを影ながら引きとめていたと思います。
↓
・そして、春。乃梨子と運命の出会いをはたします。
異端という共通項を持つ二人は、急速に惹かれていきます。
しかしながら、志摩子さんは乃梨子の登場により自分の秘密を知る人間が現れた事で、より自分の存在の危うさを感じる事になります。
ですが、乃梨子や山百合会のメンバーは志摩子さんの事を思ってくれて志摩子さんを救う為、騒動を起こします。
その結果、志摩子さんは今まで長年に渡り抱えていた問題を吐き出す事が出来たのでした。
↓
・仏教の娘がキリスト教、という問題は解決したものの。
志摩子さんの性格まではどうにもなりません。
乃梨子にロザリオを渡す事が、乃梨子に自分の背負っている重荷を課すという事がどうしても出来ません。乃梨子は大切な人だから、なおさら。
そのような授受がなくとも、乃梨子とは一緒にいられると思っています。
ですが、それは乃梨子を想っているという自分主観でしかありません。
聖さまが居なくなって、誰にも相談できずにいる志摩子さん。
それを救ったのが乃梨子です。
乃梨子は志摩子さんの領域を理解し、志摩子さんを闇から引っぱり出してくれる光です。スールという絆になってくれるという乃梨子だけが、志摩子さんの心の重荷を一緒に背負ってくれる…
志摩子さんが本当の意味で唯一、甘える事のできる人物なのでした。
これでもう、あなたも志摩子通です!(笑)
さて、そもそもこの志摩子論の論点は「いかに志摩子さんが素晴らしいか」というところでした。今、志摩子さんの全てのエピソードを振り返って言いますと。
個人的な主観ですが、志摩子さんが素晴らしいと思えるのは。
究極の和洋折衷。
和と洋のイイトコどりしたようなキャラ、それが志摩子さんです。
外見はフランス人形なのに、内面は大和撫子。
キリスト教を深く信仰していながらも、家は仏教で人格者の父の影響・教えの下育ってきた事でのバランスの良い教養、道徳観、優しさ、慈悲深さ、品性。美味しい紅茶を淹れたかと思えば、美しく日本舞踊を舞う。
自分に対して、おこがましい・傲慢ではないかと自己反省する事も出来ます。志摩子さんの意に反するかもしれませんが、その恵まれた環境で育った純粋さは素晴らしいの一言。
しかも秀才。まさに才色兼備。
祥子さまと違ってほんわかタイプなのがたまらない。
生真面目すぎるのが当初の志摩子さんの弱点ではありましたが、そこも解決して今は良い感じになりました。
まさに天使。聖母に相応しい人物。
その微笑の前には誰でも陥落するでしょう。
以上、これが私が思う志摩子さんの魅力です。
貼り付け元 <http://www6.plala.or.jp/skirthike/html/diary/simakoron.html#nibu01>