【概要】
A:「ロトスコープによる演出は凄すぎて気持ち悪い!!」
映像について考えさせられる
B:「素手で皮膚を剥がして破けて見えた心臓に口づけしてるみたい!!」
変わる人と変える人の狂気
C:「まるで雛鳥が共食いと認識せずに鶏肉を食べてるみたい」
無自覚な悪が最も強烈な悪だと再認識!
仲村佐和 「嘘だ‥‥‥夢だろ‥‥これ‥‥夢に決まってる‥‥‥‥‥!」
一条 「カカカ‥‥‥‥!ところがどっこい‥‥‥‥夢じゃありません‥‥‥‥! 現実です‥‥‥! これが現実‥!」
悪の華を見てるとアンパンマンが自分の顔を千切って誰かに喰わせてる映像が浮かんできた。
「私の大切なものを食べて欲しい、1つになりたいから」みたいな凄まじい精神的なグロテスクさ。
これは人を選ぶ作品だし、叙事詩みたいな感じだと思った。
【内容】
春日、仲村、佐伯という3人の主人公の魂と触れ合っている実感が湧きます。
投稿者 きんぞう 投稿日 2014/9/9
形式: Blu-ray Amazonで購入
アニメ全盛の時代に育った私は、ジブリやディズニーといった王道を走るアニメーション作品において暗に描かれている訴えたいものや、伝えたいことがあまりに軽薄すぎて、もはや全く共感できなくなってきていました。
単行本の衝撃的な表紙に触発され、原作からアニメになってどうなるのだろうと期待してテレビシリーズを
見始めましたが、1話を見終わった時点で、まるで画面の中に引きずり込まれるような悶々とした感情を抱いたことを覚えています。
どこにでもいる、「孤高の存在」に憧れる少年
「孤高の存在」としてしか生きられない少女
「孤高の存在」と扱われることに日々悩んでいる少女
純粋な魂と、現実世界の間に生じるささいな亀裂をきかっけに、この3人の魂が大きく動き始めて他人のいる社会に”ハミ出し”てゆく様や、そして現実社会と同様に、何事も無いかのように鈍感に流れてゆく様子を見事に描き出しています。
全13話を見終わって感じたのは、「ほんとうに醜い自分と向き合える人でなければ、この作品は理解できないだろう」ということでした。
優しい方に、簡単な方に、安全な方に、逃げているばかりの人には難しいと思います。
確かに、若者向けアニメーション作品としては、暗く、華やかではないかもしれません。
しかし、リアリティーやアニメーションならではの過剰表現を追求するあまりに、あれもこれもと技術を盛ってゆき、逆に真実味がなくなって気持ち悪くなってしまったジブリやディズニーとは違って、リアルな人の動きから逆算し、表現手法を間引いてゆくという真逆のテクニックを使って作られています。
いかにリアルに見えるよう味付けしてゆくかではなく、表現を成立させるためにギリギリどこまで削れるかというチャレンジをしているのです。
数分にも及ぶ無音の画面、早朝、夕暮れ、夜、闇の表現にこだわった暗さのグラデーション
視聴者の心とシンクロするかのような時間表現
毎回、登場人物とキャストに敬意を払って丁寧に作られたオープニング
臨場感のあるすばらしい録音
実写キャストの地に足の付いた、しっかりとした演技力
原作のコマの間の物語を浮きだたせる声優の力量
すべて近年のアニメーション作品に見られない、突き抜けた作品でした。
建前だけの夢を見せることだけが教育ではなくて、現実に生きる人間の心の深淵に深く手を突っ込み、どろどろとした醜い部分や汚い部分があることを自覚させることも、立派な教育だと思います。
このようにすばらしい作品を世に送り出してくれた、押見先生、長濱監督、そしてキャスト(特に実写キャストと声優)、スタッフの皆さんに感謝の言葉しかありません。
かなり、人を選ぶ…
投稿者 まーしあ 投稿日 2013/4/16
形式: Blu-ray
以前、本屋でお試し冊子を軽く読み、…私には合わない。すごく気になるけど(-_-;)と思いました。
アニメ化すると知り、とりあえず1話を録画したものの、見るのが怖くて…やっと見ました。
すっっごくリアルな背景。人物は生身の人間のトレス?…ロトスコープですか。ここまでリアルにするなら実写にしろと言われるでしょうが、アニメにしかできない表現もあるし、これを実写でやったら、お堅い人達にいろいろ騒がれそうです。
監督は、絵柄やストーリーを原作通りにするより、テーマを徹底的に描くつもりで、こういう改変にしたんでしょうね。
居心地の悪いリアルさ、いびつな三角関係?お試し冊子と1話だけでは、わからない事の方が多いんですが、監督が、かなりの冒険をして、この作品を作っている事はわかります。
レビューをいくつか読んだら、男性には共感できる部分が多いようですね。
女性から見ると、変態だろ、あるいは、それって犯罪だろと言いたくなる部分がありますから、男性向けと言うべきでしょうか。
私には続けて見る勇気はありません。「鬱」の気分になりそうで。人が死んだり、グロい描写があるアニメを鬱アニメと言うようですが、そういうシーンがなくとも、暗く重い気分になる。これこそ鬱アニメではないでしょうか。あ、けなしてるんではなく、むしろ褒めてます。よくぞ、こんな作品を作ったものだと。
軽い萌えアニメばかりじゃジャパニメーションは衰退しますからねー。
明るく楽しいだけがアニメじゃない。でも、合わない人間の方が多い作品だと思います。
高評価をつけた方、アンチに負けず、正当な評価をしてあげてください。
合わない私は、退散させていただきます。
何故、このような作画になったのか?
投稿者 アマジン太郎 投稿日 2013/4/13
形式: Blu-ray
原作と絵が違うという批判が目立ちますが、そもそも「絵が違うから買わない!」という方はここのレビューを見ても意味がないでしょうから、「なんか作画が話題になってるけど、どうなの?」という人に向けてレビューします。
まず、このアニメは「ロトスコープ」という、実写をもとにして描くという手法を用いており、そのため原作の漫画的な絵柄ではなく、非常にリアリティーがあり、冷たく緊張感のある雰囲気が出ています。しかし、その作画の違いに、原作ファンから批判の声もあがっています。
では、アニメ制作者は、このような批判が予想されたであろうにも関わらず、何故この手法を使ったのか。
1-2話のあらすじは「文学少年ぶってる自意識過剰気味の中学生が、好きな子の体操着を盗んでしまう」という内容です。これをアニメ絵で作品とした時、厨二病的な男の子のギャグアニメになってしまうという恐れがあったのではと思われます。
ギャグの視点にならないようにするには、主人公の背徳感や孤独、焦りに視聴者を引き込むような、シリアスさを演出しなければいけない。そのため、毎日変わることのない虚無的な日常風景や、背景や人物といったものを、徹底してリアルに描く必要があったのだと思います。
じゃあ実写ドラマでやれという声もありますが、私はアニメ独自の良さが出ていると感じます。
それは、この手法によって息をのむ緊張感が効果的にあらわれている点です。
普通のアニメでは、見せ場のシーンによく動くアニメーションを持ってくるものですが、このアニメではあまり意味のないシーンほどよく動きます。1話の始まりの生徒の登校風景では、数名の生徒が歩いてくるシーンから始まる。彼らはよく動くものの、普通のアニメで歩く時の意識的な動かし方とは違い、輪郭線が無意識的に動いているようだ。その顔も、遠くの人物は何も描かれてないか、メガネといった記号が描かれているのみです。これは、客観的な風景の一部として人が描かれているように感じられました。
それに対して、1話に仲村が教師をにらみつけるシーンでは、にらみつける顔→眼のアップが2カットの静止画で表現されいたり、他に1話終わりの春日の眼のアップや、2話終盤に仲村が春日に顔を近づけニヤつくシーンは、他のロトスコープによるシーンよりも、かなり精密に描かれてます。これらのシーンは全体を通して異質さが際立ち、登場人物と感覚を共にしたような、時が止まったかのような緊張感が感じらます。
このように、原作をアニメ化する時に、どうすればその原作の本質が表現しきれるかを考えた結果、このような手段を用いることになったのだと思います。
是非、普段アニメを見ない人や、アニメで新しい刺激がほしい人は、一度見てもらいたい作品です。
その人を知りたければ、その人が悪の華に対して何を感じてるかを知れ
レビュタイ通り本作も充分おもろいんだけど、本作を見た視聴者の反応を伺うってのもまたおもろいんですよね。
それは、これに対する反応でその人がアニメはもちろんのこと、アニメ以外について消費者としてどういう価値観を持っているのか、
どういう向き合い方しているのかが分かりやすく読み解くことができるからなんですよね。
あと、賛否両論以前にレビューの書き方のバリエーションが豊富でおもろいんだよね。
なので、あにこれのレビューとか定期的に覗かせてもらってます。
▪️感想
とある郊外の文学少年・春日くんが自分で自分を客観視できるようになっていき、中二病から高二病へと成長していく良い意味で薄気味悪い物語。
この話、主に3つに分類すると、
自分の変態性を自覚していて開き直り、自覚のない人間を見下す仲村さん視点。
自分が少数派な存在だと自惚れながら少数側と多数派の間で揺れてる春日くん視点。
承認欲求が高いがために少数側の気持ちを承認しようとした佐伯さん視点。
この高い自意識からくる3つのタイプが入り混じり、それぞれに賛否、共感、達観しながら成立しているわけです。ま、こういう自意識って自分が多数派であることを信じ、少数派を否定する考え、いわゆる世論が引き起こしてるもんなんだけども。
自分の個性、変態性に必死にもがき苦しみながらも向き合い続ける心情や、自分が認識できる狭い範囲のマジョリティ側に 背を向けマイノリティ側(山の向こう側)へ行こうとする探究心に関しては制作者気持ちと悪の華の登場人物達とはシンパシーを感じました。
そんな登場人物達の狂った描写なんかは貴重でおもろかったです。そうやって苦しんでもがいて悩んで狂った後の傷痕が後にいい思い出になるはず。ここらへんも二次創作に対して、シナリオがおもろいのが最優先と考えるか、シナリオの中で見え隠れする制作者の心理を最優先にするかどうかで、見え方も大分変わってくるだろうけど。
扱っているシナリオ、テーマ、技法が希少でありながら、どう作品として成立させるか。希少価値が高いほど難しいが、成功させた時の達成感が大きい。ま、それは一個人の視聴者側の勝手な都合による見解であって、書き手にとっては気にせず、ただ自分が表現したいもの自分の趣味思考が大衆の趣味思考とは違っただけと感じながら二次創作として成立させている人が多いのだと思う。だからこそ斬新で感情移入がしにくい設定やシナリオでも自然に演出ができているのでしょう。
実写トレースなんてせず、そのまま実写でやればいい。という意見を聞く、確かに実写で公開されたのはなかなか好評だったらしいけど、アニメでもやってくれてよかった。
そもそも私は『アニメはこうあるべきだ。』や『実写はこうあるべきだ。』という勝手な思い込みを捨てるようにして見ていて、失敗を恐れずどんどん新しいことに挑戦していって欲しい。と思っている身勝手なタイプの人なので、あまり目くじらを立てようとは思えない。そもそもそんな固定概念が表現の幅を狭めているみたいで好きになれない。
てか、最近は感情移入できる、できないか、という論争は二の次で、少数派か多数派か、新しいのか新しくないのか、という枠組みに重きを置いてるような気がします。なのでそういう面で物事に興味あるかないかの判断にきびしくなってきてます。
てか正直技術的なことは分らんけど全編ロトスコープでやる意味が分らないっていう批判が沸くってのは絵で物事を描こうとする限界を指しているのかもしれないですね。想像画とロトスコープの良いとこどりってやり方なら色々やりようがあるみたいだけど。ま、ネタとして楽しめました。
長濱監督は実写に関しては素人だから、うまいはずがない。という意見を目にした。ならば、実写に慣れている監督さんとかの作品でロトスコープを試してみたらどうなるのかな。と単純に疑問を持った。
最近ではロトスコ演出増えっていってるようなので手書きとCGとロトスコなどの技術を上手く組み合わせて頑張って欲しいですね。
まーそもそも私は4、5年くらい前までは実写ばかり見ていた人で、近年は実写の表現だけでは限界があるなと思いながらアニメも見ているので、アニメと実写の美味しいとこどりしてるって状態、アニメも住み分けして見てます。
それと、私、一見マイノリティを擁護しまくってるマイノリティ中毒者のように見えるけど、根はけっこうミーハーな野郎でして、流行りものや話題性のありそうなのはできるだけチェックしようとするスウィーツ(笑)的な部分もあったりします。でもなんか流行ってる一定のシステムというかロジックがある程度分かってしまったら、あっさりと手放して深くはのめりこもうとしない、というなんとも冷ややかな付き合いばかりしています。
続きが観たいけど…
2013年、衝撃の話題作&問題作となった作品。
感想を書くにあたって、久々に観返してみた。
全編ロトスコープの手法を用いて作られた初のアニメであるが、
このサイトおよび、ネット上の評価など色々見てみると、見事に賛否両論なのが面白い。
まぁ原作ファンのことを考えると、裏切られたと感情的になってしまうのも無理はないと同情できるが..
これまでのアニメの既成概念を無視したうえで、一つの映像作品としてこの作品を考えてみると、
正当に評価されるべきものであると自分は思っている。
ただ、自分が評価する点も、嫌いな人、理解できない人にとっては、全てが反対の意見になるだろう、
というのは非常に興味深く、このような作品はなかなか無いのではないか、とも思える。
ロトスコープに批判的で、実写でやれば良いという意見が多く見受けられるが、
もしこのアニメが「萌え」を売りにしたようなものであるならば、
自分も全く同意見を持つだろうが、この作品の世界観には非常に合っていると思う。
(原作ファンには気の毒だけど)
そして実写とアニメ、両方の手法を用いることが効果的な場面が随所に見て取れる。
決して実験でも奇をてらって用いたものでもないのは明らかだと思う。
何故監督がこのような手法を採用したのか?意図を考えなければならない。
ロトスコープだからこそ、従来のアニメーションの 、無駄を省いた動きでは表現できない、
本来の人間の動きを描け、それによって観る者に非常に生々しさ、
不快感を与える効果を生み出せるのだから。
「気持ち悪い」「こんなものはアニメではない」これは監督の思う壺である。
これだけどんよりとした生々しさを、映像として表現したアニメが、
今までにあっただろうか?
ロトスコープにばかり目が行きがちだが、
職人による昔ながらの「手書き」で制作されている背景描写は、
劇場版映画かと思うほどのクオリティで、非常に美しく風合いがあって素晴らしい。
これもロトスコープに合わせてリアリズムを追求した結果だろう。
そして、悪く言えば使い回しなのだろうが、これらの風景を繰り返し見せる演出も非常に印象に残る。
(余談だが舞台となった群馬県桐生市では背景美術展も開催されていたらしい。)
そして、演出面で非常に印象的なのが作中のBGM。
サスペンス、ホラーで使われるような手法は、
緊迫感、不安感、圧迫感など、なんとも言えない重々しい空気を醸し出し、
また時には幻想的でもあり、間の取り方、背景の見せ方と合わさって最高の演出となっている。
特に印象的なのは8話の冒頭、人物が歩いている場面では、
OP含めるとセリフ無しで9分以上も幻想的な音楽が続くのは、正直常識破り、圧巻だ。
この場面が如何に重要かつシンボリックな場面かという事が伝わってくる。
本編からのEDの入り方も毎回絶妙だが、...インパクトの塊だ。
しばらく頭から離れなかった、よくあんな曲作ったなと思わずに居られない、
もう笑うしかない、気持ち悪い、そして最高すぎる。。
しかも、この曲はこの作品の為に作られたものではないらしい..それもある意味凄い。
内容に触れるのが後になったが、
この物語は閉塞感、虚無感、劣等感、孤独感など、
思春期に抱くさまざまな感情を生々しくリアルに、かつ退廃的にも描いている。
中学高校、部活や恋愛で充実した日々を送っていたような人間には、
なかなか共感できないかもしれないが...自分には仲村さんの心情に共感できる部分は多かった。
キャラクターに関して、
とにかくインパクトの有る仲村さんの狂気がヤバい、怖すぎる。。
中盤まで何を考えてるのか、どういう気持ちなのかは、なかなか読み取れないが、
7話の教室でのやり取り、春日が仲村さんの家に行った辺りから察することが出来る。
佐伯さんは普通の感覚を持ち合わせているかと思っていたが、
実は劣等感を抱いていた、と言うのは意外だった。
佐伯さんの心情をうかがい知るには、今後の展開がカギになってくるのだろう。
それにしても、あれだけやらかした春日に大して、大して動じてない様子を観る限り、
もしかしたら一番変態なのは佐伯さんだったりするのかもしれない..
春日はある意味中二病なのだろう。
自身が他者と違う、特別な存在だと思い込んでいたが、
実は全くの空っぽで変態以下のクソムシ野郎(自分が見下していた只の一般人)であり、
佐伯さんに相応しくない人間であるということを理解し、打ちひしがれる。
大して魅力的なキャラではないが、一番生々しくリアルでもある。
声優(俳優)に新人を起用したのも、演技は上手くはないが、逆に作った感じがしなくて非常にリアル。
今後のヒロイン二人とどのように関わっていくのか、非常に気になる。
最終話まで観て、ここからがこの物語の真価が問われる核心部分だろうと思うのだが...
第一部だけで終わらせるには、あまりにも惜しい。
終わり方を見る限り、第二部をある程度作ってるように思えるのだが、
円盤がサッパリ売れなかったようで、続きを観ることは難しいかも知れない。
本当に残念だ。。
こんな中途半端に終わるならアニメ化しない方が良かった、とも思えるし、
最終話の終わり方も続きがないなら、結果的にダメだと思う。
本作は既成概念を打ち破る手法で、
固定観念で凝り固まったアニメオタクだけでなく、原作ファンまでも、ある意味排除した。
本当に勇気の要ることであり、「芸術性の追求」という観点では賞賛に値するが、
ある意味売上げに反映されなかったのは、当然と言えるだろう。
たとえ業界人や玄人アニメファンに評価されようとも、
実際に金を落とす層にアピールしなければ、どんなに優れたものでも「商売としては」失敗である。
ここに現在のアニメ業界が抱える最大のジレンマがあるのではないだろうか。
監督は「蟲師」や「デトロイト・メタル・シティ」などを担当した長濱博史さんが担当されている。
どうりでこれほど拘った作品ができるわけだ。。
(なお、監督の拘りは円盤の副音声で、細かく解説を聴くことが出来るらしい)
自分はこの監督の作品をもっと観たいのだが、売れないと製作会社的にもコストが掛かり、
起用しにくいのかもしれない。
痛く、切なく、辛く、決して甘くはない青春。
特徴的なのは作画。
現実をトレースしたようなリアルに近い画風。
とにかく演出がすごい。
主人公の部屋、自宅、学校までの通学路、途中にある看板、そして学校と教室。
ほとんど同じ視点やカットで現実と同じような日常が流れていることを巧く表現している。
そこに変わっていく登場人物達を取り巻く状況が重なり、ハラハラさせる曲で強調され、登場人物のよりリアルな心理描写が見て取れる。
内容は、ふと湧き出た感情的な衝動でストーリーが進んで行き、落とし所のない強い感情と強い感情とのぶつかり合い。登場人物達が交わることがなく、見ていると心が痛く、辛くなる。
しかし、怖いんだけど続きが気になって見たくなってしまうようなホラーのようなスリルがあり、ドキドキハラハラしてみたくなるような魅力がある。
中毒性のあるエンディングに流れると、学生時代に考えていたような希望的観測や葛藤、ぼんやりとした不安などのが蘇って、登場人物達のことをまるで現実のことのようにあれこれと頭の中で考えてしまう。
萌え要素がある女の子、何か特別なスキルがあるカッコイイ主人公、笑えるような要素などはない。
ただただ、痛く、切なく、辛く、決して甘くはない青春を描いたもの。
見終えてもハッピーな気分になるわけでもなく、モヤモヤとしたものが残る
しかし、ドキドキハラハラするような中毒性がある。