【概要】
- 千と千尋の神隠しはジブリ作品の中でトップクラスの評価を得ている。
- 細部の奥深くまで作りこまれた物語が不思議な感覚を与えてくれる。
- ちなみに私が唯一劇場に3回足を運んだ作品だったりする。
【参考】
【ジブリ】千と千尋ワイの好きな台詞ランキングwwwwww(画像あり)
【展開】
視る者魅了する圧倒的な作品
宮崎駿監督(73)のアカデミー名誉賞受賞を記念し、
21日に日本テレビ「金曜ロードSHOW!」でノーカット放送されたアニメ映画
「千と千尋の神隠し」(後7・56~10・54)の平均視聴率が19・6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区) だったことが25日、分かった。
テレビ放送は2012年7月6日以来7回目だったが、根強い人気を示した。
2001年7月公開の同作は、10歳の少女・千尋を主人公にしたファンタジー。
日本歴代興行収入1位の304億円を記録し、 03年3月にはアカデミー長編アニメーション映画賞を受賞した。
03年1月24日のテレビ放送時(日本テレビ)には、平均46・9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区) の驚異的な数字を叩き出した。
今回は、より多くの視聴者が楽しめるように、放送開始時間を通常より1時間強、繰り上げ。
番組の前半には「ルパン三世 カリオストロの城」(1979年公開)から「風立ちぬ」(2013年公開)まで、 宮崎監督が手掛けた11作品の名シーンを放送。巨匠の足跡を余すところなくたどった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141125-00000077-spnannex-ent
千と千尋の神隠しはアカデミー賞にノミネートされただけあって世間受けが良いもよう。
ジブリが強い背景には、老若男女みんなが楽しみめるってのがあるよね。
千と千尋の神隠し
視聴率推移
03/01/24 46.9%
04/12/10 26.1%
07/02/02 18.6%
09/06/05 21.4%
11/01/07 16.5%
12/07/06 19.2%
14/11/21 19.6%
若者のテレビ離れとか何とか言うけど、観たいものがあればしっかり視聴率取れるじゃん。
金曜ロードショーは楽しい時間を確実に提供してくれるから廃れないんだろう。
視聴率を取るコツは安定した時間の提供なのかもしれないね。
トンネルの向こうは罪を洗い流す場所
千と千尋の神隠しは間違いなく名作だけど、そのストーリーは意味不明で叙事詩状態。
そこで私なりに解釈した千と千尋の神隠しをここで披露してみようかなと思う。
まずタイトルの神隠しって言葉から、千と千尋の2つの世界があるのが分かる。
現実の世界とトンネルの向こうの不思議な町の2つ。
で、たぶん不思議な街は更生施設だと思う。
千尋の両親は食べ物を前にして「あとで払うから大丈夫」と言って食べ始めた。
つまりこれは、無銭飲食しようという悪気があるわけじゃない。
両親は欲求を抑えることができない人間だったんだと思う。
その結果千尋の両親はブタにされちゃった。
両親は自制できないために豚にされちまった。
ブタは家畜であり、家畜とは人間から見れば社会の養分だ。
普通に考えれば社会の養分は利用されて消える哀れな存在だと思う。
これは多分、欲求を自制できず罪を犯すことはダメだってメッセージなのかもしれない。
でも謎なのがあの黒い影の住人たち。
飲食店を経営しているようだけど感情が分からない。
みんな行動が画一的で自分の意思があるのか疑わしい。
画一的で個性がまるで感じられない影の住人たち
そして何より、カオナシが面を取ったら黒い影の住人そっくり…
劇中のカオナシは終始主体性の無いヤツだった。
千にひたすら媚び売って千が望むものを差し出して拒絶されて、最後は銭婆婆の家で過ごす。
その銭婆婆の家に残るのもの自分の意思ではなく、言われたから残るというスタンス。
終始一貫して主体性、自分の意思を持たないキャラクターだったカオナシ。
映画を見ていて「千が欲しい」って言うのは千の持つ感情や意識、ひたむきな心が欲しいんじゃないかと思った。
というのもカオナシは魔法を既に持っていたけど、出した砂金はニセモノだったりと猿マネのような魔法だった。
画一化された黒い影の住人には感情が感じられないけどカオナシには意思があった。
だけど自立できてない子どもみたいに出来事に対してオロオロとしている。
けど自己主張をしなければ自分という存在が認識されないため、誰かを食べて人格を持つ個体の真似をする。
そして魔法もその場凌ぎでやったけど何かが足りない、ひたむきさだ。
そこで千のように自分の意思で独立独歩をするひたむきな心に惹かれていく。
稚拙な感情ながら千が欲しいって願ったけども、千からは相手にされず。
でもカオナシには何で千が金で釣れないのか理解できなかった。
多分これは、自分に卑屈で流されることを良しとするのはイケナイってメッセージなのかもしれない。
ハクは千尋を常に気遣ってくれたカッコイイ存在だった。
でも彼は力を求めて湯婆婆に自分を売った身だ。
ニギハヤミコハクヌシ、河の神であるハクが何で力を求めたんだろう。
↑「よきかな」で有名なあの河の神は満身創痍な状態で風呂屋に来た。
初めはお腐れ神かもって思われるくらいヘドロなレベル。
多分、人間の犯した罪(モラルハザード)で汚れた神が風呂屋で罪を洗い流しに来たんじゃないか。
八百万の神をおもてなしする風呂屋だけど、風呂って汚れを落とす場所。
それは物理的な汚れもあるけど、魂の汚れを落とす場所(命の洗濯よ!)でもある。
けどあれだけ汚れるのはヤバイ、どう考えても普通じゃない。
これを考えると、ハクは人間が河を侵さないようにしたかったのかも。
だからハクが求めた力ってのは、人間の自然破壊を食い止めるための力(魔法)だったのかもしれない。
思えばハクが劇中屈指の美しい動作で謎の術を発動したあれ。
その効果は相手(カエル)の意思を封じて大人しくさせるというものだった。
なるほど、自然破壊をする人間の意思を止める術ってことなのかな。
湯婆婆と銭婆婆も興味深い存在だった。
妹の湯婆婆は監視を怠らない経営者で権力を持ち、強欲を知る女性。
姉の銭婆婆は必要最低限の質素な生活をしており、禁欲を知る女性。
湯婆婆は制約と監視で人を導く存在。
銭婆婆は自律と放任で人を導く存在。
つまり、湯婆婆は厳格でバイタリティ溢れ華美装飾が好きなキャリアウーマンのような感じ。
一方銭婆婆は、慎ましくも日々の幸せに目を向ける主婦みたいな感じ。
見ていてそういう対比があるのかなって感じた。
千と千尋の神隠しのメッセージは何なのか
千尋:怠惰で流される人間だったがひたむきな努力で確変し、自立した心を手にする。
黒い影の住人:意志無き者の末路。並列で画一化した大衆の1人で個性は消失している。
両親:現代人の悪い象徴。自制が効かず、欲求に流された結果社会の養分になる。
カオナシ:現代人の悪い象徴。エセ万能感を持つが主体性に欠けるため常に流されてしまう。
ハク:現代人の悪い象徴。無力さを知り主体的に行動するが取捨選択が極端なため孤独になっていく。
湯婆婆:強欲を知る者。制約と契約を用いて従業員を仕切る。厳格ながら豪華絢爛大好き。
銭婆婆:禁欲を知る者。質素で慎ましい隠居生活を送る。取捨選択が秀逸で茶(岡倉天心)を知ってる感じ。
坊:強欲から外の世界で分別を知る。短い冒険で身の程を知り、懐が深くなった。
↑多分こんな感じだと思う。
油屋は罪を洗い流す場所であり、ある意味で更生施設のような役割も果たしている。
千と千尋の神隠しは叙事詩みたいに視聴者によって解釈が変わる作品。
だから何が正解とかマジで無いと思う。
私は、リスク社会も含めて現代社会についてなんか言いたかったのかなって感じた。
何かを得るには犠牲が出るし、もしものために油屋のような更生施設(セーフティネット)があります。
現代社会は情報が溢れて誰もが誰にでもなれる既視感があるけど、それは限りなく近くて遠い距離だよ。
けど決定的な違いは主体性(ひたむきさ)を持って取り組めるかどうか。
大衆に紛れることは自分の可能性を潰してる、それは自分に対する罪だ。
強欲と禁欲は誰もが持つ表裏一体の感情でどちらにも良いとこ悪いとこがある。
でもどんなときも、自分を自分足らしめる何か(名前や記憶)を忘れないで。
きっとそれが指針になって自分の道を教えてくれるよ。
↑多分こんなニュアンスのことを伝えたかったのかなって思う。