萌えの教祖手塚治虫、萌えの伝道師高橋留美子。

漫画の神様、手塚治虫

逸話

神様だけあって、常識では考えられないようなエピソードを山ほど持っている。
幾つか挙げるだけで人外ぶりがまざまざとわかるほど。

他人の漫画作品を見せてもらったとき「これなら僕にも描けるよ」といって 本当にそっくりの絵をその場で描いてみせた。

揺れる列車や自動車の中で フリーハンドで直線を引く 。

円を描くのに コンパスなど要らない。

うろ覚えで描いた野球場のスケッチがライトの数に至るまで 写真で取ったかのように全くいっしょ という記憶力。

別々の漫画を1ページづつ並行して描いて締め切りに間に合わせた。

 

貼り付け元  <https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/3985.html>

 

手塚治虫のおちゃめさん

手塚治虫はおちゃめな部分もっておりそれを以下に紹介する。

完成度を上げるために締め切り直前に一から書き直しちゃって編集者がぶち切れちゃう。しかし名作と言われちゃう。

締め切り前に編集者にないしょで逃げ出して担当編集者に手塚ウソ虫とあだ名を付けられちゃう。

編集者が手塚先生は仕事をしていると思っていたらテレビの生放送に出ていた。編集者激怒しちゃう。

仕事が少なくてスケジュールに余裕がある時でも結局は完成度を上げるために締め切りギリギリまでねばっちゃう。

第二次世界大戦中に爆撃が行われている最中にも死に物狂いで漫画を描いちゃう。

第二次世界大戦が終わった時には何よりまっ先に漫画が描けることに大喜びしちゃう。

婚約者(後の妻)とのデートの最中に睡眠不足ゆえに爆睡しちゃう。でも奥さん惚れちゃう。

プロポーズの言葉は「すごい生活のボクですが、お嫁に来てくれますか?」だった。事実本当に凄かった。

締め切りに追われて自分の結婚式の最中まで仕事をしちゃって1時間半も結婚式に遅れちゃう。(結婚式の控え室でアシスタントと一緒に仕事をしていた。)

妻と一緒に過ごした時間は合計で1年未満と言われちゃう。でも奥さんは納得してちゃう。

そのあまりの多忙に、知人から「よくお子さんを三人も作る時間がありましたね」と言われたところ、「あんなの五分あればできますよ」なんて言っちゃう。

漫画の新人賞の審査委員長なのに、「ボクは自分の原稿を応募したいんですよ」とか言っちゃう。

しかも正々堂々と新人と戦って賞をとっちゃう。

大御所漫画家同士で「漫画の話を考えるのは大変だよね」という話をしていて、何か手塚治虫と他の漫画家と話が食い違うと思ったら、他の漫画家が「話のアイデアを生み出すのが大変」という事なのに対して、手塚治虫は「ことあるごとに思いつきすぎるアイデアをチョイスするのが大変」ということだったりしちゃう。

キューブリック監督に2001年宇宙の旅にSFデザインで参加を要請されるも連載有るからと言って断っちゃう。

24時間テレビ用アニメ制作の際、そのままOKをだしても間に合うかギリギリという位に期限が押しているのにリテイクを出しまくっちゃう。しかも放送終了したのに完成度に満足できていないので作品を作るのを続けちゃう。
(当時はビデオ販売などもろくに無い時代なので完成版を公開する目処すら無いのに)

アシスタントに給料をあげる際に「必ず映画を見るんだよ」と言って毎回、余分に千円をあげちゃう。(昭和中期の価値では映画館代300円 大衆食堂の定食50円の頃。)アシスタントいつも喜んで映画見ちゃう。

あれだけ締め切りの事でひどい目にあったはずの編集者達が手塚治虫が死んだあとに「手塚治虫の事がやっぱり好きだった」と語っちゃう。

虫プロ時代の手塚の(経営者としての)ドンブリ勘定ぶりに「むかっ腹立ってました」と語っていた富野喜幸が、そのインタビュー中必ず手塚治虫を語るときは「先生」と呼んでいた。そしてかつての自分が愛読していた手塚漫画を見せられると「たまりませんなあ!これがいいのよ!」と目を輝かせる。

 

最終作にして最高傑作

手塚治虫が最後に関わった漫画は「グリンゴ」「ルードウィヒ・B」「ネオファウスト」である。

手塚作品は手塚が死ぬ直前まで成長しており、上記の3作品は同時期に連載していたにも関わらず全く違う作風である。「グリンゴ」は枠線すらフリーハンドで描くという大胆な表現を使う。内容は手塚治虫の大人向け漫画を代表するようなもの。「ルードウィヒ・B」は若い頃の手塚治虫の絵を意識しており、登場人物の目が大きく柔らかい絵で描かれていてこれまでの手塚治虫の少年向け漫画を代表するような作品。「ネオ・ファウスト」は今までに無いほど繊細かつ丁寧に描かれていて手塚作品の全体のテーマ「生と死」について書かれている。さらにこれは第一部の第一話がそのまま最終話に繋がるという非常に練られた秀逸な伏線が張られている。どの作品も未完のまま終わった。最後に描かれた原稿は書きなぐりのような状態であった。

 

最期

手塚治虫は胃癌の最中に病院のベットでも漫画を描きつづけ凄まじい最期を遂げる。

もう普通なら漫画なんて描ける状態ではないのに手塚は漫画を描くのを止めなかった。

手塚は医師免許を持っていたため、担当医の言うことは聞かず病室で描き続けた。手塚は有名な自画像の絵とは比べ物にならないくらい痩せ細り、骨と皮だけのような状態でも描き続けた。

手が動かなくなっても痛み止めのモルヒネを打って描き続けた。 奥さんは「もういいんです!」と泣きながら手塚を静止しようとするが手塚は描こうとした。

本当に最後の最後まで描こうとした

彼の最後の三作品は大傑作の評価を受ける。

 

もし手塚治虫がいなかったら

もし手塚治虫がいなかったら日本は世界一の漫画・アニメ大国にはなっていなかったであろう。

彼の最後の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」であった……。

 

貼り付け元  <http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB>

一気通貫、一心不乱、、一念天に通ず、、、

手塚治虫は凄い、何がって、その宗教観を交えた作品が、です。

死生観が漫画によってここまで満たされていくのか……みたいな。

これは哲学ですね。

 

高橋留美子が萌えの伝道師。

ならば手塚治虫は萌えの教祖でしょ。

手塚治虫、女体に定評有り!

そこ、代わりますよ?

ケモナーホイホイ

萌えの源泉手塚治虫と萌えの伝道師高橋留美子。

手塚治虫は女と獣の融合を魅せてくれた。

 

ぶっちゃけ読むと性に目覚めて、性癖が歪む。

それぐらい、素晴らしい名作がたくさんある。

 

火の鳥―望郷篇―、火の鳥―生命編―、ブラックジャック、アドルフに告ぐ、ネオ・ファウスト

大好きです。

ネオ・ファウスト (SAN-EI MOOK 手塚治虫セレクション)

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