ネットが仮想的な優越感を拡散させた結果、人々の向上心が削られた気がする

【概要】

  1. 「本気出してないよ?」←この風潮が気に入らない。
  2. 保険を掛けることよりも、惜しむことが気に入らない。
  3. そしてこれは多分、成長を阻害すると思う。

 

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【参考】

ベジータの三大名台詞「がんばれカカロットお前がナンバー1だ」 わんこーる速報!

ベジータの三大名台詞「がんばれカカロットお前がナンバー1だ」

しかし私もニュータイプのはずだ、見えるぞ、私にも敵が見える  【ガンダム再び!】赤い彗星シャアの グッと来る名言色々ランキング! - ランキングシェア byGMO

しかし私もニュータイプのはずだ、見えるぞ、私にも敵が見える

むじん速報   努力出来ない系クズにありがちなこと

努力出来ない系クズにありがちなこと

【内容】

才能のムダ使いは罪だと思う

A「オレの勝ちィ!!」

B「あーでも今の本気出して無いからなぁ」

A「・・・は?」

B「おまwwww喜びすぎwwwww」

 

↑これ、最近の風潮にあると思う。

何かして負けると言い訳して逃げる人。

 

A「あーくそっ!!負けた!!」

B「え?おれ全然本気出してないよ?」

A「・・・え?」

B「おま弱すぎwwwオレ強ェーwwww」

 

↑あとこれも。

何かして勝つと盛大なアピールする人。

 

『本気出してないのハッピーセット』が嫌い。

どこがと聞かれれば、『自分の成長できる可能性を自分で殺してる』所が大嫌い。

 

幸い、おれはそういう人間を目の当たりにしたこと無いから分からない。

でも、ネットのコメントやSNSを見てるとそれが多くて驚いた。

負けず嫌い多すぎでしょwwwww

 

これについて考えてる内に、こういう風潮は多分、成長を阻害する可能性があると思った。

ベジータやシャアのかっこよさはこれだ!!

ドラゴンボールと機動戦士ガンダムは不朽の名作として名高い。

中でも、ベジータとシャアの人気は未だ衰えを知らない。

 

『人間味』があるとこが人気の秘訣と言われるけど、人間味ってなんだ?

おれは多分、『感情の起伏』だと思う。

 

涙を見せたり、本音を言い放ったり、勝ち誇ったり…

作品を見てると、2人はけっこう共通点があるんじゃないかなって感じる。

 

ベジータ「おれはサイヤ人の王子!ベジータ様だァ!」

シャア「見える…!私にも敵が見えるぞ!!」キュピーン

↓↓↓

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ベジータ「おれは・・・超ベジータだ!」

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シャア「チャンスは最大限に活かす主義だ!!」

 

↑威勢よく戦うけど負けて落ち込む姿はカッコ悪く見える。

けど、パワーアップして再登場した姿はカッコ良く見える(自信過剰だけどな…)!

そして、挫折を糧に努力した姿を想像すると惚れる!!

スタチューレジェンド 「ジョジョの奇妙な冒険」第二部 41.ルドル・フォン・シュトロハイム[原型・彩色監修/荒木飛呂彦]

ナチスの科学は世界一「人間の偉大さは恐怖に耐える誇り高き姿にある!!」

 

↑敗北の現実を知ることは辛いし、積み上げてきたものを否定される感覚は恐怖そのものだ。

でも限界を受け入れて、その上で必死に頑張れるのは本当に才能だと思う。

恐怖を知ってなお、前へ進む精神力を持った者にこそバイタリティーは宿るんじゃないかな。

 

「木の葉の美しき蒼い野獣!」

↓「木の葉の蓮華は2度咲きます…」

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「今こそ!自分の忍道を貫き守り通す時ッ!!」

 

↑天才ひしめくNARUTOのロック・リーも限界に挑戦するキャラで人気もある。

表蓮華が成功せず、噛ませ犬かと思いきや壮絶の見せ場を作るとこは素敵過ぎる。

けど結果が残せず再起不能かと思いきや完全復活してキャラ確立……やはり天才か。

 

結局NARUTOのキャラは天才のみしかいないけど、それでも努力が報われたのは良かった。

限界状況から逆転現象を起こすのは見てる人を惹きつけるし、盛り上がる。

SONYも追い込まれた時、サイトでそういうことを言ってた。

 

そう考えると、ドラゴンボールの『死にかけると強くなる』って設定は素敵だと思う。

限界が必要を求めるんだと思う

自分の成長を実感できる瞬間って説明しにくい。

でも、スポーツとかやってる人は分かると思う。

『出来ないことが出来るようになる感覚』ってやつを。

 

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安西先生「下手糞の上級者への道のりは己が下手さを知りて一歩目」

 

↑成長の過程には、『出来ない』→練習→『出来る』がある。

初めに『自分が出来ないことを知ること、認めること』が必要になる。

そこでようやく『練習』ってなって、『出来る』になっていく。

 

つまり、自分の限界を知らないと改善ができないんだと思う。

 

大人「自分の限界を超えることが成長ってのを伝えたい」

大人「でも自分語りみたいな感じだと宗教的で気持ち悪い」

大人「リスペクト精神!これだ!」キュピーン

 

↑意地悪な言い方すると、リスペクト精神の敬意はこうとも解釈できる。

『相手に失礼の無いプレー』となれば、『常に全力!』になる。

これにより、相手は実力に限界を感じて、自分は質に限界を感じるのが狙いかもね。

 

天才信仰は「本気出してない」と深く関わってる。

人より何か秀でることが出来ると、過程を無視して「天才!」と言われる国、日本。

『天才=カッコいい』『人気=金』と結び付くから、言葉で金儲けに走ったんだな多分。

 

大人「ヤベェ、日本に天才多すぎて陳腐化しちゃった…」

大人「神武→岩戸→五輪→いざなぎ→泡・・・これだ!」

大人「神童発見!神曲!神!神!八百万の神々!!!」

 

↑ちなみに今はこんな感じになってる。

問題はこの流れから、そういう言葉を求める人が多くなってること。

 

マズローの欲求5段階説とか言うのは置いといて、人間には『承認欲求』がある。

簡単に言えば、「認められたい」とか「褒められたい」って気持ち。

今の日本人はそれが足りてないんじゃないかと思う。

 

だから、「本気出してない」を合言葉に無理やり満たしてるのかもしれない。

で、負けを知らないことがプライドの肥大化を招き、不愉快な言動に繋がるのかもね。

 

子どもが持ちたがる変な万能感を早く捨てた人ほど大成するのかもしれない。

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