【概要】
- 人が持つ想像力ってスゴイと思う。
- だって無生物にも命を吹き込むことが出来るんだよ?
- 4次元ってのは遠く見えて実はとても近い感覚だったのかもしれない。
「凍りついた記憶が目覚める瞬間 始まる未来だけを今願う」
ティファ・アディールのような感受性は見ていて惚れ惚れする。
ガンダムXの『Dreams』は躍動感がスゲェ!この躍動感がなぜ作画に活かされなかったのか…!
【内容】
アニミズムのような表現が好き!
自然科学がまだ生まれてなかった太古の昔には、生物と無生物という認識の区別がなかったそうだ。
例えば『風の囁き』、『太陽の微笑み』、『眠れる大地』という言葉はどの民族にも共通した古くからの表現なんだとさ。
でも自然科学が急速に発達した現代では、逆に生物が無生物として扱われることが多くなってきた。
「生物のすべての構造を粒子に分解し、全ての機能を数式で表す!」みたいな風潮だよね。
その代わり、人間を物質でできた一種の機械であると捉えることで、運動の制御や体力向上、バイオメカニクスのように動作にも効率化や合理化が導入された。
無生物を生物化する表現ってなんだか凄く心に響くんだよね。
『太陽の季節ッ!』バァーン!!
みたいなイメージ(≧∇≦)/
一時期は「かがくの ちからって すげー」のように科学で証明できないものはないって感じだった。
それは、どこか淡白に割り切っていて受け入れられなかった。
やっぱり僕はいつも心のどこかで風情みたいなものを感じていたいんだと思う。
2次元を通じて4次元から音を甦らせる演奏家たち!
演奏とは、生命の響き生命の輝きそのものであり、人間のすべてを映し出している。
しかし、まずその拠り所となるのは楽譜であり音符である。しかも、音楽は音符の背後にある。
楽譜は、かつて、内なる声、内なる光に導かれて作曲家の心の中で生まれた音楽が、音符によって刻印され封印された、いわば一片の化石のようなものだと考えられてきた。
生命体としての音楽は、そこにその痕跡を留めながらも4次元の彼方に存在している。
演奏家の使命は、2次元の世界にある音符を手掛かりに4次元の世界からその音楽を呼び戻して生命を吹き込み、この現実の世界に甦らせることにある。
芸術がいかに千差万別の様相を呈し、千変万化しようとも、その底流には常に、対象をあるがままに捉えようとする純粋無垢な心と、あるべき方向に向かおうとする人間本来の情熱があり、未来への胎動と無限の発達を促しているのである。
↑考えてみればまさにその通りなのかもしれない。
楽譜は2次元に存在しているけど、音は4次元で眠っている。
音符は人間が残した記憶みたいなもので、凍りついた記憶を目覚めさせるのが演奏家なのかもしれない。
そう考えると、本だって同じだと思う。
誰かの知恵が表現されて文字になって印刷される。
けど文字を文字と認識出来ない人にとって、それは絵になってしまう。
例えば、自分には分かりもしない言語の本を眺めるような感じかな。
その場合、『文字に込められた想い』は4次元で眠りについたままとなる。
つまり、文字の意味を分かる人が文字を解読して初めて4次元に眠る想いを覚醒させることが出来るってことだ。
そういう風に考えると、世の中にある表現された媒体をしっかり認識することが楽しくなってくる。
自分が演奏家になって4次元にある想いを覚醒させる。
覚醒させた想いを受け止めて、経験値として昇華して次の世代へと伝えていく。
これはスゲーことだと思うんだ。
普段の何気ない行動の蓄積が実は、とても大切な営みだってことに気付いた気がする。