【テーマ】あなたに対する評価は誰が決めるべきだと思いますか?
A:「自分は自分にしか分からない!だから自分で決めるべきだろ!」
私は私であり、私が私を評価しなければ、私である意味が無い!
B:「自分を客観的に見ることはムリ!だから他人がすべき」
自分を正確に眺めるのはムリ、だからこそ誰かの評価指標に頼るべきでしょ
C:「評価なんてのは所属したコミュニティによって変わる!強いて言うなら社会じゃね?」
母国では母国語が評価されない!社会的な規範に任せるべきだと思う!
碇ゲンドウ「話は聞いた、良くやったなシンジ、これが明細だ」
碇シンジ「……嘘だ嘘だ嘘だ!!僕の年収が、年収が200万だったなんて、そんなの嘘だ!!!」
碇ゲンドウ「働くなら早くしろ、でなければ帰れ」
碇シンジ「僕はもう、ここでは働きません」
碇ゲンドウ「子供の駄駄に付き合っている暇はない」
碇シンジ「裏切ったな……僕の気持ちを裏切ったな!」
【コメント】正確に数値化する指標を作り出すことが出来る時代が来る
自分で自分を評価すると過大評価になりやすいそうだ。
オシム「非現実的な夢は現実的な問題を直視出来なくなる」
元サッカー日本代表監督のオシムが言っていた言葉を思い出したよ。
全体で見ると、適正年収の平均は約407万円、現年収の平均は約390万円という結果でした。そのうち、適正年収と現年収が同じだった人は20%。また、適正年収が現年収を上回る回答をした人は60%。100万円以上上回る回答した人は11%でした。適正年収と現年収の差額の平均は約17万円程度と、理想と現実にはあまり開きがないようです。
▼年齢別で見てみると下記のような結果でした。
【20代】適正年収平均は約311万円、現年収平均は約280万円 差:約31万円
【30代】適正年収平均は448約万円、現年収平均は約416万円 差:約32万円
【40代】適正年収平均は約590万円、現年収平均は約545万円 差:約45万円http://www.workport.co.jp/applicant_data/detail81.html
転職に来た人に取ったアンケート内容を見ると、どの年代も30万以上プラスした自己評価をしている。
まあ転職に来たってことは少なからず給与や待遇に不満を持っていそうだから当たり前っちゃ当たり前なんだけどね。
でもこの統計から見ても、能力が低い人ほど自分を高く見積もる「ダニング=クルーガー効果」ってのが分かる。
けど、自分の意思を持っている以上、やっぱり自分には甘くしたいし目に見えないし測れない『潜在性』には期待したくなる。
誰だって自分には可能性が無いとか思いたくないじゃん?
でもそうなると自己評価はあてにならないってことになる。
うーん難しい、だからといって他人や社会に任せたら自分を正しく見てくれることに不安だしね。
偏差値は知識人たちからメッチャ嫌われてはいるけど、学力を評価するのにとんでもなく便利な指標なんだなあって改めて感じた。
サッカーもスタッツが生まれてからスゲー変わった。
IoTの流れによって、今後はデータに出来ないものを数値化して分析することが急速に普及していくことは明白。
その時、きっと分析できる人材はスペシャルな存在になるんだろうね。
【レビュー】人間、皆、ナルシストっす
【ビジネス】なぜ能力の低い人ほど自分を「過大評価」するのか
先日電車に乗っていたら、隣に中学生くらいの女の子が座っていました。かわいい子だったので、
手元のスマートフォンを操作している振りをしながら、横目でチラチラと見ていました。
すると、あろうことか、彼女は席を立ってしまいました。
ジロジロ見過ぎてしまったことを反省しましたが、しかし、どうやら私の視線が気になって席を立ったわけではないようです。
理由はすぐに明らかになりました。「どうぞ」と目の前のお年寄りに席を譲ったのです。
深く恥じ入りました。
気が利く、気が利かないとはなんでしょうか。
彼女は気が利く人です。一方、私は気が利かない人です。これは明らかです。でも、ここで問いたいのです
(決して言い訳のためではなく)ーー気が利かない人は、その時、自分を「なんと気が利かない人間だ」と残念に感じているでしょうか。
きっと感じていないでしょう。なぜなら、そもそもそのお年寄りが困っているという事実に気づいていないからです。
気づいていてわざと席を譲らなかったら、それは気が利かないとは言いません。単に意地悪なだけです。
つまり、人は「自分がいかに気の利かない人間か」を知ることができないのです。ところが、他人が気が利かないことはすぐに気づき、
指摘したり憤慨したりすることができますーー私がこんなに気を利かせているのに君はけしからん!
おそらく現実の自分は、自分に対して抱いている自己像よりも、気が利かない人間であることは間違いないでしょう。
これは気が利く気が利かないだけの話ではありません。日常生活全般において、似た状況は少なくありません。
結局のところ人は実際のレベルよりも自分を高く評価することになります。
たとえば、日常的に車を運転する生活を送っている人に訊いた調査結果があります。
「あなたは平均よりも運転がうまい方ですか?」。この質問のポイントは「平均より」という点です。
抜群に優れている必要はありません。あくまでも平均に比べたら「まあマシな方かどうか」という判断です。
アメリカの医療と軍事が凄いといいはるのは、実際は無能なの
中国人にあんなこといわしといていいの
答えろよ、イラクで医療崩壊、軍備もボロボロだったアメ公
人がどう反応するかを見るだけでいいってことか
この効果の面白いところは、ダニング=クルーガー効果について初めて知った人の多くが
「たしかに自分を勘違いしている人はいますね。身近な人の顔が具体的に思い浮かびますよ」
と笑顔で答えてくれることです。つまり多くの人は「まさに自分が該当する」かもしれない
可能性に思い至らず、自分を棚に上げて、他人に例を探し始めるのです。
>>38
自己紹介ありがとう
ネトウヨニート乙w
愛国者を自称するなら、社会のお荷物になってる現状を恥じて自決しろ
これだな
私も思い当たることだらけで恥ずかしくなってしまいます、とか答えられるようにしておくわ
松本人志のことか
>なぜ能力の低い人ほど自分を「過大評価」するのか
まあ、こういう発想自体が、チョン・チャンコロだがなw
正常な国家の国民意識では、子弟への教育において、
「大志・大望を抱いて人生を歩め。決して諦アキラめるな。」と教える。
古代中国(中国がまだマトモな国であった頃)でも
有名な「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という名言があるし、
また、明治初期に札幌の農学校で教鞭を取ったアメリカ人教師クラークが、
日本人に「少年よ大志を抱け」と、励ましてくれた。
「自分の能力も知らず、自分を過大評価する」ってタワゴトを言うのは、
その国家自体が、明日の希望も大志も抱けない絶望国家であるからだろう。
水増しする能力の無い奴は作家にはなれないと聞いた事があるがこいつは作家になれるのかな?
そりゃアンタだけだよ
なんという倒壊カーボン
流石チョン
超絶キモい
なぜ能無しほど他人の行動をいちいち上から口出してくるのか。
この作文書いたお前だよ。
の事例は、
「なぜ能力の高い人ほど自分を「過小評価」するのか」
を表しているに過ぎない。
それと全く逆のことを主張しようとする発想の転換は、もはやただのアホとしか思えない。
己の勝手な推測で他人を評価する奴は己の能力を過信し過ぎている奴が多いからなw
お前他人を評価しとるやんけ。
お
お前こそ他人の事評価しとるやん…
お前の文は読みづらいんだよ
出世し人の能力を判断する立場になるわけでもないのが
世の中の理不尽かつ面白いところ。
だからこそ栄枯盛衰って言葉があるのだと思う。
>先日電車に乗っていたら、隣に中学生くらいの女の子が座っていました。かわいい子だったので、
手元のスマートフォンを操作している振りをしながら、横目でチラチラと見ていました。
キモい。中学生くらいの女の子がかわいいからって、スマホを見るふりして見るなんて、どんだけロリコンだよ
この理屈は正しくて、なぜ能力の低いやつほど自己評価が高いかと言うと
自分がダメだと思ってないからこそ反省がなく改善もないんだよ。
改善は反省するところから始まるからな
仕事でダメなやり方してるやつって自分がダメなやり方してるって自覚ないんだよ
自覚あったら直してるしw
普通に俺の職場でも同様の現象がある。
70%という値は平均値の概念にそぐいません。つまり、多くの人が「自分は平均以上にデキる」と勘違いしていることがわかります。
ただし注意してください。このデータは、正しく自己評価できている人がいないと主張しているわけではありません。
では、どのような人が正しく自己評価でき、またどのような人が自己評価を誤る傾向があるでしょうか。
そんな研究をしているのが、コーネル大学のダニング博士とクルーガー博士です。
たとえば博士らは、ジョークを楽しむ能力について調査しました。
ユーモアは洗練された知識と機知がないと理解できません。65名の大学生を対象に、30個のジョークを読ませ、
どれほど面白かったかを評価してもらいました。この点数でユーモアの理解度がわかります
。これと同時に「あなたのユーモアの理解度は同年代の中でどのくらいに位置していると思いますか」と訊きました。
調査の結果、ユーモア理解度の順位の低い人ほど自己評価の高い傾向があることがわかりました。
成績下位25%以内の人は、平均して「上位40%程度にいる」と自分を過大評価したのです。
一方、成績上位25%以内の人は「上位30%程度にいる」と過小評価していました。
つまり実際の能力の個人差は、人々がイメージする差よりも、はるかに大きいということになります。
なお、この現象はユーモアだけでなく、論理的思考力や一般学力試験にまで、普遍的に見られます。
博士らは、この現象を次のように説明しています。
1.能力の低い人は自分のレベルを正しく評価できない。
2.能力の低い人は他人のスキルも正しく評価できない。3.だから、能力の低い人は自分を過大評価する。
もちろんこの結果だけでは「能力が低いから自分を客観視できない」のか「自分を客観視できないから能力が低い」
のかはわかりません。しかし、この研究は心理学では広く認知され、博士らの名前にちなんで「ダニング=クルーガー効果」
と呼ばれるようになりました。
この効果の面白いところは、ダニング=クルーガー効果について初めて知った人の多くが「たしかに自分を勘違いしている人はいますね。
身近な人の顔が具体的に思い浮かびますよ」と笑顔で答えてくれることです。つまり多くの人は「まさに自分が該当する」
かもしれない可能性に思い至らず、自分を棚に上げて、他人に例を探し始めるのです。
これこそが冒頭で説明した「気が利かない人は自分の気の利かなさに気づいていない」ことに相当します。
これもまたダニング=クルーガー効果の亜型で、とくに「バイアスの盲点」と呼ばれます。
いずれにしても、ここで見逃せないポイントは、脳が無意識のうちに判断をミスしてしまうという点です。
決して「わざと」でなく、あくまでも自動的で反射的な思考として「そう思ってしまう」わけです。
つまり、脳には特定の「思考癖」があるというわけです。
そうした脳のクセは「認知バイアス」と呼ばれます。認知バイアスは曲者で、しばしば奇妙で、ときに理不尽でさえあります。
こうした心理のクセに気づいていないと、ふとしたところで判断を誤ったり、損したりしかねません。だとしたら、
これをよく理解しておくことは、日常をよりよく生きることにつながります。
(続きはサイトで)
>70%という値は平均値の概念にそぐいません。
アホカヨw
平均値の概念ってwww
運転が普通にできる人が殆どじゃなきゃ危なくて道なんか歩けないだろwww
そもそもテストを合格した人が免許をもらっているのに、その時点でもう平均はクリアしてんだろwww
下手と思うレベルが個々で違う、上手とするレベルだって人によって違うのにwww
数字数字って、その考え方を自問自答しろよwww
そもそも自己評価って高いのが普通でしょ。
このスレタイは全ての人類に当てはまるだろうよ。
人間、皆、ナルシストっす
── ゲーテ
評価基準がない
ゆえに人は大きな誤りから逃れられない
── ただの自虐やん
アドバイスを額面通りに実行するかどうかまではさておき、
指摘を受けたら、やはりそこには自分に何らかの問題があると思って間違いない。
> 他人からの指摘は常に正しい。
君のその考えは間違っている。
と指摘しておく
具体的に説明できていない指摘は指摘ではない
そんな訳ないだろ
8割方正しいと思っておくべき
> 他人からの指摘は常に正しい。
と、間違った指摘されてもな~ w
まるっきりニートじゃないですか
だからネットのニートは口だけは異常に達者なんだよね。
チョンのオマエが一番、クチが達者だろうw
ニート哀れだな。
勤労の義務も果たせないクソチョンがなんだって?
「憲法」は「国家に対する制約」です。
国家宛に書かれたものを国民が破ることはできません。
憲法の名宛人は統治権力なので、憲法に義務を書いた場合、
当然国民ではなく、為政者等に対して義務を課すことになります。
国民が政府に守らせるルールこそが「憲法」なのです。
権力を縛る目的で生まれたのが「憲法」です。
国民に対して国には「まともな労働」を提供する義務があります。
(職業安定組織の構成に関する条約:ILO88号条約など)
まともな労働条件でない仕事には就く義務はありません。
(日本国憲法第27条第2項など)
貧困は社会問題であり、それを個人の問題に帰属させてはいけません。
(日本国憲法第25条第2項など)
国民の義務は、国は国民に義務(教育、勤労、納税)を「課すことができる」という解釈、
あるいは、国は国民が義務を果たせるように法行政を整えねばならないという、国に対する制約なのです。
国は生活困窮者が義務を果たせるように助けてやらねばならないのです。
憲法で国家権力を縛らない国は北朝鮮みたいな独裁国家だけです。
まともな先進国はみな憲法で国から国民を守っており、政府が横暴やらかした時に裁判所が違憲判決を出して助けているのです。
憲法は国への命令書。国民に対しての命令ではない。これ知らずに勤労の義務とかいう人多いよね^^;
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1372984031
あの人たち普通に働こうと思えば働けるというけど絶対無理だと思う
社会生活送ってきた普通の人間にあるような常識が根本的に欠如してるだろうし
過去に働いた経験あってブランク少ない人なら大丈夫だろうけど
まあそうだろうね。常識が無く、人に指図されるのを以上に嫌がる。
なんで無能なほどプライドが高いというか表に出そうとするんだろうな。
>>102
常識ってなんだ?
時間を守る、相手を見てしゃべる、口に気をつける、以外何がある?
雰囲気に合わせつつ
役割をこなすってことだな。
スポーツとかでも「あ、こいつ俺と同じくらいかな」って思う相手だと大抵向こうの方がちょっと上手い
ホントに上手い人間だとそもそもそいつより上手い人間自体の絶対数が少ない
スポーツに関しては間違いなくあてはまる。
俺と同じくらいかなと思った奴と練習したりすると、まず向こうのがうまい。
指導者が彼は君と同じくらいだからと言ってる相手と練習すると、まずまず同じくらいだね。しかし、そのときこっちからその相手はちょっと下手に見える。
じゃクビにしてしまえば収まるやん。
弱くて自分に自信の無い人ほど自分を大きく見せるもの
アメフトやってない日本人はそう思うだけ
実際にはアメリカ人はできもしないものをヒーローに成れるという思い込みの暗示を自分にかけることで
克服している、ほんとこれだけ
オマエみたいな奴か?w
●朝鮮人のような露骨に自分が上だと主張したい、
まるで蔑まれる事が多くありすぎて余計に必死で上であろうと
求めるようにしてくる屑。
●たまたま自分が劣等者であることを隠して何処かにのっかってできると、
その隙に、誰かをより劣等者として過剰に指し示し目立たせることで
その影に隠れて目立たなくさせようとしつつ、自分が優越者と正々堂々と
比べられないように姑息に陰で自分を他に都合よく用意しようとしてとぼけている劣等者。
この2つだ。
後者は、朝鮮人を都合よくタカり乗っからせて上げてしまった時によく発生する。
現在の日本は後者の状態にまで朝鮮人を付け上がらせてしまった状態だ。
なので必死で朝鮮人の劣等性とずるさと図々しさとその根源を
徹底して周知させる必要がある状態に陥ってしまっている
誰も評価してくれないからだよ!!自分ぐらいは自分を評価してやらないと自分が可哀想じゃないか
過大評価をすることによって不可能を可能にすることも出来る
自己暗示も大事だと思うけどね
いや、アメリカ人でも多くの場合は失敗してる
こういうのはネイビーシールズとか訓練受けてないとほんとはやっちゃいけない
それでも最近は海軍は失敗続きだけどね、これは上の政治家が判断ミスばっかもある
自分の身代わりに他人をより劣等者に見立てようとしていながら、
自分は姑息に他人ごち控えめ気取りという馬鹿ほど醜く腹がたつカス野郎はいない
浅はかでタカれる場所に程遠慮が無く図々しくケチ臭いカスの体裁もちの
卑怯者に、馬鹿みたいに物事をさせられたり混ざられたりしないように
なんちゅう読みづらい文だよw
はまって抜け出せなくなり、結婚して子供もできてで崩壊すると取り返しがつかなくなる
それで演技つづけるしかない馬鹿がほとんど
ほんとにな…
弱い弱いを振りかざされるとな…
困るレベルならまだしも、そこからさらにかぶせてくるバカが居るからな
狭小な集団組織の数人からの評価など、利害が入るのでもっとも値しないものだし。
しかし劣等なコンプレックスがある人は、俺が上であいつが下や!
あいつは下であれ!俺の劣等性を隠すように目立て!
という事を激しく行う醜い屑がいる場合がある
自覚あって過大評価してる奴は自分を必要以上に売り込まないといけないの分かってるからまだマシだけど結局ついていけず迷惑かけるか稀に上手くいって自分のスキルを上げれる場合もある
過小評価してたら自分を売り込めないからしゃーないね
実は心の中では自己評価低すぎるんだけどそれを表に出してたらやっていけない
てか自己評価を自分だけで適正に出来る人間がいるのか
2種の方法で、同時に与えてみるのです。
一つは皿に入った餌、もう一つはレバーを押して出る餌。
どちらの餌も同じものです。
さて、ネズミはどちらの餌を選ぶでしょうか。
試せばすぐにわかります。レバーを押す率が高いのです。
苦労せずに得られる皿の餌よりも、労働をして得る餌のほうが、
価値が高いのです。
コントラフリーローディング効果は、多くの動物たち、たとえばイヌやサルはもちろん、トリやサカナに至るまで、動物界にほぼ共通してみられる現象です。
これまで調べられたなかで、コントラフリーローディング効果が生じない動物が、一種だけ知られています。飼いネコです。ネコは徹底的な現実主義です。レバー押しに精を出すことはありません。
そらレバーを押させるように訓練するから、レバー押しが多くなるだろうさ
夏目漱石 吾輩は猫である:青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html
>そこで自分の子ながらも少しく持て余しているところである。
>持て余すくらいなら製造しなければいいのだが、そこが人間である。
>人間の定義を云うとほかに何にもない。
>ただ入らざる事を捏造して自ら苦しんでいる者だと云えば、それで充分だ。
>さすがに子供はえらい。これほどおやじが処置に窮しているとは夢にも知らず、楽しそうにご飯をたべる。
>ところが始末におえないのは坊ばである。坊ばは当年とって三歳であるから、細君が気を利かして、
>食事のときには、三歳然たる小形の箸と茶碗をあてがうのだが、坊ばは決して承知しない。
>必ず姉の茶碗を奪い、姉の箸を引ったくって、持ちあつかい悪い奴を無理に持ちあつかっている。
>世の中を見渡すと無能無才の小人ほど、いやにのさばり出て柄にもない官職に登りたがるものだが、あの性質は全くこの坊ば時代から萌芽しているのである。
>その因って来るところはかくのごとく深いのだから、決して教育や薫陶で癒せる者ではないと、早くあきらめてしまうのがいい。
さっき缶コーヒーのBOSSのCMで
忙しいといい廻ってる係長は、じつはそんなに忙しく無い
むしろ自分の周囲を忙しくしてる
ろくでもないこのすばらしき世界
苦虫つぶしたような泥水だけすすって生きるか
萎えた社員はいらないと感じると思う。
でもやり過ぎは禁物w
相手は自己愛が多いから、その性質を考慮して書かないといけない。
実際つかってみるとw
できなきゃ殺すぞ!
これ女に言われただけでこうなった俺への嫌味だろ
良レス
普段からエスカレータでも歩くなど頑張っている人が
たまたま体調不良で苦しんでいるなら助けようという気にもなりますが、
普段からエスカレータでも立ち止まったり怠け放題の人がしんどいと言っていても
「あなた頑張った例が無いですよね?」という話です。
エスカレータを見ていても今の日本人は昔ほど働き者では無いです。
ゆとり思考というのでしょうけど。
http://www.n-elekyo.or.jp/instructions/escalator.html
誰でもいいからプロの絵を見て「これぐらい俺にも描ける」と感じるようなら才能がないから諦めなさい。と。
さぁなぁ…
実際に描いてみせれば文句は無いと思うんだが
描けないのに大口叩くのはどうかと思うけんども
単純な作画作業のことを言ってるんではないと思うぞ。
絵はあくまで画家の内面から出てくる創造の結果であって副産物でしかない。
表面的なことだけを捉えるヤツは作業者止まり→バイト派遣で代用可。
さぁ?そんなもんは、どうやったって描いた人間、その人にはなれないんだから
評価のしようが無いっすな
絵画の技術の話だけで言えば、やればやるだけ上がるので
それこそ紙と鉛筆があれば、ジジイになるまで修練は積む事が出来る
何時かは憧れの絵に到達できるんでないかな
わるいわるい、だったらそれでいいね。頑張って模写し続けるといい。
>プロの絵を見て「これぐらい俺にも描ける」と感じるようなら
うんまぁ、前振りがこういう話だったので自分なりの持論を話してみたんだけど
でもまぁ、少なくとも技術的な部分は模写から勉強できるし、つか…模写を馬鹿にしている時点で
その模写対象の画家を敬っていない…つーか、舐めてるよな?
ってことをひけらかしたいんだろね
君はテヨンを引き合いに出してるけど、それを心理学では下方比較と言う。
ちょっと調べてみると面白いと思うよ。
=出ていけないww。
それは従業員の方が正しいと思う。
賃金アップを平気で要求して来る。しかしクビに成らないわけだろ。
クビに成らないクビに出来ない状況なら、従業員の方が一枚上手だろう。
たとえ自信過剰でもそっちの方がマシな気がする
さきに書いたとおり、日本では真価なんて発揮できないんでしょうね
これは自衛隊もそうですけどね
いや別に出ていっても構わないんだけど・・・ハロワでいっぱい
居るから。コールセンターレベルで時給3000円レベル払ってんだが。
じゃあ、かわりはいくらでもいるよと言って解雇すればいいじゃん。
難しいことは何もない。
ひとりもな
「あれ簡単そうだな俺にもできそう」
↓
「思ったより難しいな。でもおもすれ~」
↓
うまいことハマって長続きする
自己評価過小タイプ
「あれ一見簡単そうに見えるけど僕には難しいんだろうな」
↓
「始める前にあれもこれも必要そうなこと全部勉強しないと…」
↓
挫折
現実はこうだよね
後者は単に不器用なだけでは?
そういうこと
自身にあふれてアピール力の高い奴にこそ仕事と経験は集まるから必然的にキャリアと人脈とという変えがたい才能が生まれる
ごくごくまれにアピール力だけしか磨けなかった奴がいるってだけ
自身だけ溢れてると才能磨かなくてもあとからあとから仕事もらえるから
磨く必要なくなる奴もまれにいる
目標がはっきりしていることに取り組む場合はアウトプット優先で
やっていく方が遥かに効率がいいしね
インプットから入ると無茶苦茶無駄が多い
逆に絵や音楽みたいな芸術系のスキルはインプットから入らないとそもそも方向性
が決まらなかったりもする
思ってたより難しくて挫折するタイプも居るから、そこはイーブンでしょう。
そして悲観的な観測を行いながらも、難しいから燃えるタイプてのも居る。
弁護士資格を受ける奴とか奴は困難を知ってるわけだし。
自己評価が低い人はそもそも司法試験受けない気がする
というか自己評価低い人は上を目指すよほどの理由が無いと高いハードル
の方を選ぶ動機にならないと思う
自分に自信が無いと言うのは自己の問題。
>「あれ簡単そうだな俺にもできそう」
状況を楽観的に捉えるか悲観的に捉えるのか問題。つまり自分の外の問題。
自分に自信のある奴が、状況を楽観視するのかは一致してない。
逆に低い能力でより効率的に結果出せる奴ってことだろ
能力高くてもコスト無駄に高いやつならゴミ
これを乗り越えられないパーどもの世界でーす
よう、クズ
足引っ張るのだけは止めてくれよ
自分は、屑で結構卦だらけ~、杯だらけ
それでいいさ・・・・
きみこそ、屑中の屑でしょうかwww
綺麗事乙
無能な社長となったりするからなあ。
でもそういう人は社内政治における能力は高いわけで
何を持って能力と判断するか難しいところだわな。
独立したら、一番恐れるのは舐められるって事だ。
舐められたらおしまい、だから自然と経営者は自信過剰になるというか、そう見せないといけない。
社内にいる時は謙虚さが求められるじゃん、でも一歩でたらそれじゃいかんのよ。
あっそ、じゃあ他の人に仕事回すわってなる。
だから、中小零細企業の経営者どもは、「クラウン」「ベンツ」の新車を購入します
そんで~3年前後で新車乗り換えがデファクト・スタンダード
上手く「演戯」せんと、社長できまへん
これ勘違いしてただ上から目線で威張るだけみたいな奴も結構いるよな
しっかりしてる経営者って大抵腰低いのに
サングラス掛けてヨボヨボな歩き方して末世
あのおっさん、商売能力はめっちゃ高いと思うわ。
義務と演戯
このだぞん、おれのメインな死後戸
学歴も年齢も一切、カネケー無い
中途半端かダメなやつしか過大評価はできません。
ダメなヤツほど、才能があるだの知識があるだの、誇張して自分を防衛しようとする。
ソクラテスの「無知の知」をしっかり心に刻むことでーす
論理的でもないし。論理習ってたら
絶対性はどこにもない領域に到達するのね。
他人を拒絶したようにまた自分も拒絶されもすることも真理だとわかるよ。
反論恐れている限り、自己から出て自由に論理組むこともない。私は自由が好きだから他人の論理も聞きたいけど。
でもさ~
これって鬱病の原因になる
どの段階で鬱るの?
身動きが取れなくなったとき
どのスレにも湧く在日朝鮮人のネトウヨ…
韓国人のこと????
お前自身と韓国の事…
自分を売り込む姿勢を過大評価だとマイナスイメージをつけて
優秀な人間を活躍させない為だろ
代替可能性といったほうが適切かな
例えば営業でダントツの1位だと本人が尊大な態度を取っても許される
代替が利かないから
それ以下は尊大な態度を取れば冷たくあしらわれいつ辞めてもいいよと扱われる
代わりはいくらでも居ると思われるから、実際そこそこの給与を払っているから
雇われたいと人は集まる、これは能力の上と中間の話、中間の能力は一杯居るから
実際にはびくびくしながら仕事している、自分が明日居なくなっても会社は
まったく困らないことを本人も会社も知っている。
能力の底辺は安い給与で特定の仕事をしていると代替可能かと思われるが
実際は違う安い給与で仕事をする人は少ないから本人が尊大な態度を
とっても経営者や上司は許してしまう。アルバイトに毛の生えたような給与じゃ
人は集まらない、人が抜けたら大変になるのが経験でわかっているから。
底辺は自己を過大評価するようになる
脱落の恐怖ですね~
自信を持つのも過大評価するのも優れた才能だ
そういう自分はこの三つのかけては誰よりも才能が無い駄目な奴なのだ
つまり能力を評価できないということではないのか
能力の評価は結果でしかできないのかもね
四六時中、自分を器のデカイ人間だと言ってたり、自分ほど大人な人間は居ないと自分で自分を褒め上げる。
あの自己顕示欲はギャンブルを止められない自分への劣等感や自己嫌悪の現れ。
幕末の頃、橋本佐内に会った勝海舟は西郷隆盛に並ぶ大人物と評したが、大久保利通は意外だったと橋本をダメ人物と言った。
これくらい人によって評価が変わるのにどうやって誰が能力が高いとか低いとか決めるんだ。
こんな考え方してるから日本の企業に魅力がなくなるんだよ。
人の能力を簡単に量れると思うヤツこそ無能なんだよ。
昔日立でCMOSを研究していた社員がバカ上司に袖にされて窓際族にされかけたが、CMOSの重要性が分リCMOSに注目を浴びるようになったのでその社員は窓際どころかトップ社員になった。
この例から分るように能力の有り無しは簡単には分らんのだよ。
会社においては上司や取引先でしょ。
そのケースは無能な上司(とばかりはいえんけどね。なにが価値を持つかなんて
神様でもなければ予測できないし、人は状況によって無能にも有能にもなるんだし)のせいであって、
この論の本質には影響しないよ
前提はバカ上司がいる会社じゃなく、ある程度、合理的に能力が評価されている
前提での話で、その日立のケースは個別論でしかない
だな
石坂浩二が2年間もカットされたのも
下請け製作会社のディレクターの嫌がらせだからな。
それ、能力と関係ないから。
会社が倒産してないからが根拠でしょうか?
もうしわけないけど基本的なことで、勘違いしてるんじゃね?
能力なんて相対的なもんでしかない
もちろん外資系を中心に多くの企業が取り入れている評価法はあるが。
客観的な評価なんて、知識を試す入試でも無理なのに、人間力や人脈まで
含めて評価する企業での評価に存在するわけない。
しかしある程度の合理性があるということと矛盾するわけではない。
このあたりを理解してないと、「客観評価なんてないのだ!」と
目を吊り上げて全否定するようなことになりがち
ここでの主題はあくまで自己評価の話。
他人からの評価が正しいとか正しくないとか全く関係ない。
まして企業からの評価なんて出てくるのがおかしい。