新庄剛志とマラドーナorイチローと三浦知良
しくじり先生、見ましたよw
凄いですね、新庄剛志最高にカッコいいよ(笑)
あの破天荒な感じがイチローと対極だなあって思った。
マラドーナと三浦知良みたいな感じでもある。
新庄剛志の日ハム時代は本当にカッコいい(>ω<)
どうして誰がこんな物語を描いたのか、本当に素敵だなって思いました。
エピソード
小学生の頃、8回も交通事故に遭ったがいずれも重症に至らなかった。
高校時代、甲子園には出場できなかったが、地区大会決勝でサイクルヒットを達成した。
好きな色は赤であり、日本時代はリストバンドで赤を貫き通した。
ジーンズが履けなくなるからという理由で下半身のトレーニングはしていなかった。しかし見えないところでかなりトレーニングをしており、人に見られると辞めてしまう。
始球式では平気で球を打つ、バット以外のものを持ち出すなどツッコミに枚挙にいとまがない。
プロ野球一年目の年俸の大半を車代に当てたら、税金が払えず叔父に立て替えてもらった。
同じ新庄つながりで山形県新庄市と奈良県新庄町(現在の葛城市)と岡山県新庄村で自治体挙げて応援してたとか。
1997年のオールスターでは成績が悪かったにも関わらず、ファン投票2位で出場。応援をボイコットされるという屈辱を味わった。
野村克也が就任した際、オープン戦でピッチャーもやっており145km/hをマークしたが、左膝を痛めて数試合で頓挫した。良くも悪くも気になっていた選手なのか、その後も野村は新庄が引退するまで色々ツッコミを入れていた。
1999年には敬遠球をサヨナラ安打にしてしまった。ちなみに、当時の打撃コーチであった柏原純一も敬遠球を打った経験がある。
メジャーリーグ時代では「記録はイチロー君に任せて、俺は記憶」と語っており、お互いの守備を認め合っている。
現役時代は「引退したらムービースター(俳優)になる」と語っていた。
2002年にはめちゃイケの数取団に出演。一敗し新庄が関取団と相撲をしようとしたが、中嶋APに「怪我をしてはいけない」と止められ、代わりに中嶋APが相撲を取った。
去就が注目された2003年オフにはボブ・サップと共に映画の試写会に登場し、その場で日本ハムに入団すると(球団の公式発表前に)発表。「背番号は1です!」とその時の勢いで言ってしまったため、後に当時背番号1をつけていた阿久根鋼吉に了承をもらい、阿久根は9に変更した。
日本ハム入団会見の際には「札幌ドームを満員にする」「チームを日本一にする」という目標を掲げ、双方とも見事実現させた。
日本球界に復帰した2004年にはクイズ・ミリオネアでは最後の2問を鉛筆にゆだね、15問全問正解。賞金は札幌ドームの個人広告看板のために使用した。
2004年のオールスターでは事前に「MVPはボクのものです!!」と宣言、オールスター史上初の単独ホームスチールを決めて本当にMVPを獲得した。
2004年シーズンの終盤戦でサヨナラ満塁ホームランを放ったが、嬉しさのあまり一塁走者の田中幸雄が新庄に追い越される形で抱きついてしまい、ホームランは取り消し、入ったのは1点のみという結果になってしまった事がある。
日本ハムに入団して以降は、カエル、スパイダーマンなどの被り物をする他、3輪バイクを運転するなど、ファンサービスやパフォーマンスを積極的に行った。だが、『パフォーマンスは試合に勝ってナンボ』という意識があるのか、被り物パフォーマンスに関しては試合に負けて以降封印された。
目立ちたがり屋と思われがちだが、実際は他の人を気に掛け、他人を立てるように配慮している。
日本ハム時代の同僚の森本稀哲とは師弟関係にあたり、 新庄引退後、背番号1は彼が継承した。
サンデーモーニングご意見番スポーツでは、張本勲からよく「喝」を入れられていた。
かつてのファイターズは、野球ファンからの支持率が0.0%を記録するなど、人気獲得に苦労が伴う球団だった。しかし札幌移転と共に加入した新庄の活躍により、その雰囲気は一変。広報担当者からは「20年間努力したのに全くダメだった。それが一人の加入でこんなに盛り上がるとは」との発言も有った。
日本ハムの日本一が決まった時に、トレイ・ヒルマン監督を差し置いて真っ先に胴上げされた。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%96%B0%E5%BA%84%E5%89%9B%E5%BF%97
☆新庄剛志の笑える伝説話を集めてみた☆
・敬遠球打ってサヨナラ。ヒーローインタビュー『明日も勝ぁーつ!』で翌日の試合は3打席連続三振を含む5打数ノーヒット。チームは12連敗
・99年6月12日敬遠打ちサヨナラ「明日も勝つ」→敗戦
・99年9月10日8回裏ガルベスから決勝本塁打、明日も勝つ→12連敗
・04年9月20日新庄幻のサヨナラホームラン、明日も勝つ→阪神は2連敗、ファイターズもプレーオフ敗退
・04年4月02日札幌ドーム初戦ライオンズ戦で「明日も勝つ」→三連敗
・06年札幌ドーム お立ち台で「今年は優勝!」→阪神が中日との首位攻防戦で三連敗
・鉛筆を転がしてミリオネアで1000万を獲得→全て日ハムに寄付
・サヨナラ満塁ホームランかと思いきや、田中幸雄といちゃつきシングルヒット
・フォアボールでバットを投げる、指に引っかかってキャッチャーの頭を直撃
1992年のヒーローインタビュー「新庄君、これで首位にたちましたね」に対し 「え!?ホント!?最高!」とコメント(順位を把握していないらしい…)
1993年6月「四角いストライクゾーンがくっきり見える」発言
トレードで移籍してきた松永浩美に打撃指導をされていたが、当時の打撃コーチが一言「こいつは天才、教えても無駄」と言い放つ
・年俸2200万円の時に買った車カウンタックに飽きて購入したのが、ランボルギーニ社最大の失敗作、チータ。それを「サウジアラビアの王様が乗る車です」と自慢
・残留した理由は、ロッカールームで携帯の電波状況が悪いのを改善してくれると約束してくれたから
・”あそこ”がしっかり収まらないとプレーに影響が出る
・髪を染めて「外人になりたい」発言の時の髪の毛の色は「緑色」
・ネタが尽きたのか、パフォーマンスを公募
・ダースベイダーの格好をして始球式。ジョージルーカスの公認つき
・常にオーラを出す練習をしている、ある日のオーラは162%らしい
・普通の外野フライもジャンプして取るというプレーに「少年野球に悪影響を及ぼす」と通告される
・インタビューの途中に、握手を忘れていた選手の所へ行って握手をする
・背番号5を選んだのは「カクカク」しているから、自分に合っていると思った。
・始球式の球を打ち返す、女子小学生の球も遠慮無くセンター前へ
・オールスターに代走出場。何もしてないのに大声援、何もしてないのにガッツポーズ
・スパイクには180万円のダイヤが埋め込んであり、二つで一千万円 →ギネス申請
・ルール違反の始球式用黄金バットを使用、審判もお祭りだからと黙認
・オフはヴォイストレーニングに専念
・バッティングの極意は「白い球を、強く打つ」
・キャンプへは5000万円のルイヴィトンのバッグを持って参加
・ヒーローインタビューの時に下をよく向くのは、吉永小百合のまね
・清原の吉本出演に対抗して、「東京ガールズコレクション」に出演。
・子供の頃、野球のポジションを聞かれて「センターフォワード」
・ホームランの打法の銘々後は、マスコミ各社に打法をメールで送信、ちゃんと絵文字も使う
・メッツ時代の10本のホームランのうち、9本は他人のバットで打った
・キムタクが抱かれたい男No.1に選ばれた時、キムタクに「今度、俺も抱いて」とメール
・ニューヨークでカツアゲに合う
・引退後の夢は「ソロライブ」観客席を満員にしたい
・引退後に始球式に登場。ソフトバンクのユニフォームで登場し、森本と真剣勝負で145km/hを記録し三振に追い込む
・ゴールデングローブ賞の副賞のグローブを観客席に投げ込む
・優勝パレードのとき、百万円相当のアクセサリーを10個くらいファンに向かって投げてた
https://matome.naver.jp/odai/2133272480783483101
バスを母校に寄贈→母校甲子園初戦敗退
センスないからやめます引退会見(Jリーガー転職)→次の日撤回
阪神時代、背番号の上の名前が「SHINJYO」になっていた。
阪神5年12億円契約を蹴り、年俸2200万円の大リーグへ。
不振(打率最下位)のまま出場したオールスターで応援ボイコットされる、ペットボトル投げ込みとブーイングで試合中断
宇野ばりの外野フライ顔面キャッチ
サインのしすぎで新幹線に乗り遅れる
ニュースステーションで久米宏のことを「くめっち」と呼び捨てる。渡辺真理、上山千穂ら大爆笑
メジャー初出場は代走でセンターフライなのにタッチアップで2塁へ。
日本人初MLB4番
日本人初MLB満塁HR
日本人初ワールドシリーズで安打
メジャーで、出塁時にマイクをつけた一塁手に「来年どうするんだ?」と聞かれ「今年で日本に帰る。帰ってムービースターになる」
阪神時代、ホームランを自身の名前の書かれた応援旗でたたき落とされ二塁打
ハム時代、タイムリーを打つが、フェンスに当たる前に観客に取られ打点無しの二塁打に
入団当初ショートへのコンバートを希望、理由は「かっこういいから」
短距離のスピードを維持するため、長距離の練習を拒否
92年12月レコード大賞のエスコート役に選ばれて、「ここにくるのが夢でした」
94年首脳陣に下半身強化を命ぜられるが拒否、理由は「ジーパンが似合わなくなるから」
95年着ていたセリエAのTシャツを褒められて、「僕、Jリーガーになりたいんです」 さらに髪を染め「外国人になりたい」
98年オフ野村新監督と初めて会い、感想「やっぱりヴェルサーチでしたね」
98年オフ野村監督に指導を受け、「一度に言われても覚えきれません、また今度にして下さい」
98年オフ野村監督に、「バッティングはどっちの手でするもんや?」 と聞かれ「左です」と答えるも、「両手や」
98年12月投手との二刀流をすすめられ、「僕は1球で肩がつくれる」
なんでも鑑定団に家宝の皿を持って出演、サインを入れて視聴者プレゼント「来年僕が活躍したら、価値が出るでしょ!」
99年11月ゴールデングラブを受賞、「僕は外野の監督だと思ってやってます」
00年4月センターライナーを転倒しながら捕球「打った瞬間シュートして、とる時にスライダーして、最後にナックルした」
あの肩でもプロ入りしてから落ちた、高校生時代の方が強かった
00年6月鳴り物の応援をしない「球音を楽しむ日」の感想
・「(鳴り物)がなければ集中して見てくれていると感じるし、あったほうが盛り上がるし・・・」(ロッテ堀)
・「ファンが楽しめるのが一番」(ヤクルト五十嵐)
・「僕は打席に入ったら何も聞こえない」 (新庄)
00年7月故障でオールスターを欠場する巨人上原に対して電話で「お前の分も俺が打つ!」もちろん上原は投手である。
00年12月メッツ入団が決まり、メッツの印象を記者に聞かれて、「すごくユニホームが格好いい」 記者苦笑い。
00年12月メッツに入団し、「僕はもう日本人じゃない」
02年「もう俺、エーペだから」英語ぺらぺらのことらしい。
自分がヒーローになれるよう、自分をプロデュース
1999年、坪井が捕球するつもりで構えていたフライを横から飛び出し強奪しバック ホームで3塁からタッチアップした李鐘範を補殺。
ホームランを打つ感触についてインタビューされる「わからないです。バッティン グのことはあまり聞かないでください」
歯磨きは毎日13回はする
歯医者で入れた歯は規格外の白さ、特注で作ってもらった色
「足が速いのに、何故盗塁しない?」と野村監督に言われ、「盗塁には興味が無い」と答える
アメリカで「MIAMI」と書かれた看板を”ミアミ”と読む。「マイアミ」と教えてくれた 同僚にも「ミアミ」と譲らず。
阪神との交流戦でタイガースのユニフォームを着て練習に登場
福岡市立長丘中学には歴代の校長に並んで新庄の写真も飾ってある
始球式でオロナミンCの瓶を持ってバッターボックスに、残念ながら空振り
ユニフォームは一人だけ特注品、体が一層シャープに見えるように
ルール違反の始球式用黄金バットを使用、審判もお祭りだからと黙認
新庄のグッズなどを札幌ドームで展示、その名も「新庄秘宝館」
体を鍛えたのは練習やウエイトトレーニングなどではなく、父の家業(造園業)の石運びを手伝っていて鍛えられた
2005年残留交渉の争点は「新庄劇場」のパワーアップ容認を要求。年俸ではなく、かぶり物が大事だ。 チームから出された条件は「ルールを破ったり、和を乱したりしない」だった。
理想の体型は、トイレのマークの逆三角形
「新庄選手」と呼ばれるのが嫌い、野球選手みたいだから
ミスターマリックとマジック対決、マギー審司直伝のマジックでミスターマリックから「Mr.ツヨック」の芸名を授かる。
ラジオ番組にて六時間ぶっ続けでDJを努める
写真展にて「第二のヨン様を目指して気合いを入れて行きます」
2006年の目標はハリウッド進出、バットを振ってないので手には豆が無い
テレビ版組にて見事に手品を披露「手品が出来たらもてるんです。」
2006年オフシーズン、「来年は歌手になります!」宣言
2006年対楽天戦の秘策は”ヘラヘラして相手をカリカリさせる”、楽天をなめてID野球を粉砕する
2006年秋、他チームから監督候補としてリストアップされる。プレイングマネージャー候補
はなわに自分の曲の作成を依頼「日焼けサロンみたいな、ノリノリのバラードを作ってよ」
前日に飲み過ぎちゃったときは、試合中にコーヒーを飲んで気合いを入れる
引退後はキューバのほうにコーヒー畑を作って、自分でコーヒーを作りたい
D-1コーヒーシリーズのCMは今までで一番難しかった、素人さんが言われたことに、僕がぼける。ある意味M-1
キャンプの途中にマギー慎二とイリュージョンを披露
ベンチのサイン「ホームラン」→本当にホームランを打つ!
愛用のグローブは17歳の時に買った物、盗まれたら野球を辞める
新球場のこけらおとしの試合は二軍戦であったが、なぜか新庄も参加する。球場第一号のホームランを放つ
外野フライで捕球まであと一歩というときは、肩の関節を抜いて捕球
試合前から、ヒーローインタビューを用意して貰う
引退後は解説者にはならない、自分が喋ると「ピー(放送禁止用語)ばっかりになっちゃうから」
ヒーローインタビューで引退宣言!
四月に早々と引退宣言
電光掲示板付ベルトでオールスター登場
NEVER MIND WHATEVER I DO. FAN IS MY TRESURE.
自民党と民主党から、引退後の政治家への転身オファーを受ける
定期的に歯を新調してる
引退試合直前に背番号を阪神新人時代の「63」に、翌日には「1」に戻す
プレーオフ前、観客のいない紅白戦でヒーローインタビューの練習も行う
野球を続けた理由は、野球だけ一番になれなかったから、他のスポーツはすぐに一番になれた
新庄がお金に固執しなくなった理由は、外野捕殺やタッチプレー阻止が年俸に反映されなかったから。お金に換算されないプレーをしてやろうと思って
キムタクが抱かれたい男No.1に選ばれた時、キムタクに「今度、俺も抱いて」とメール
ガルベスが審判にボールを投げて乱闘になったときは、ベンチでジュースを飲んでいた
メジャーリーグのピッチャーの感想「顔が怖かった」
ニューヨークからオファー来い!→見事メッツからオファー
怪我の時にファンからの声援があるとベンチに帰る。更に大きな声援を得るため
http://2chart.fc2web.com/shinjoy.html
新庄剛志になりたいです!
破天荒とはまた別の、得体の知れない超越したところが素敵です。
合コンあるからワザと手を抜いたとか叩かれる要素はいくらでもある!
けど、新庄剛志は良くも悪くも善悪を超越した、『光のルートを歩む人』というイメージがある。
そういう星の元に生まれた幸運の人、導かれし者(*´∀`*)
例えるなら、マラドーナみたいなに右手を高く挙げてファンを煽るような感覚!
常にゾーンに入りながら生きているような感じ。
イチローと三浦知良、新庄剛志とマラドーナ
この4人からは学べることがたくさんあるなあって思います。