【概要】
- 会話と対話が自由に出来る公共の場は人の思考を加速させる。
- でも、今のネットには公共の場があっても喰われる傾向が多い。
- 新しい公共の場を提供できれば面白いなあって思う。
【参考】
【内容】
今のネットには公共の場が無いのかもしれない
大まかに言うと、ネットって「公共の場」の最たる例だと思いますよ。だって「誰でも」どの場所からでも情報を得られるし発信できるのですから。インターネットって本来そういうコンセプトで出来たものだったと思いますが。
今は発展してきて、会員限定だけとか知人だけとか一国全部とか、場によって利用者や情報を制限出来るようになってきてますけどね。それでもテレビや新聞や書籍は勿論、何かのコミュニティや公共施設なんかよりははるかに自由度(公共性)高いと思いますよ。
↑でもドワンゴの川上量生が言ってた。
「今のネットには公共の場がない」ってね。
これは一体どういうことなんだろう。
公共ってのは誰かが作るものなのか?
それとも、勝手に作られていくものなのか?
出来るのなら実験的にでも、公共の場をサイトに作り出してみたいなって思う。
ネットにおける公共性は開かれていること
オレ「知りたいものがあるんですが・・・」
Google「任せておけ!…これかな?」
オレ「グゥレイトッ!」
↑インターネットは社会的な何かに束縛されることなく情報にアクセスできるのが素晴らしいと思う。
現実ではコミュニティに所属しなきゃアクセスできない情報ってたくさんある。
本来インターネットってのは世界が繋がるハブのようなもの。
でも、そこにお金が絡んだ結果、『匿名と実名』や『会員制』ってのが出てきた。
だから今のネットは本来の姿から見れば制約の掛かった状態なのかもしれない。
でもおかげで情報が重要な資源になるってことは確信的な事実として知られている。
同時に、ネットの収益モデルは『情報』と密接な関係を築いた。
一言で言えば「情報はネットを介することで莫大な金を生むッ!」って感じかな。
つまり、『情報を流す、隠す、変える』ことでお金が生まれていくんだね。
全然説明不足だけど、こうした背景がある中で『公共の場』が注目されてる。
川上量生は『公共性』をテーマにニコニコ動画を立ち上げた。
だから彼の考える公共性がスクロールされる文字に集約されてるのかなって思うんだ。
↑文字はユーザーが自分で考え自分の意思で動画に沿って投稿していく。
そこに制限は無く、他のユーザーから排除されなければ永遠に刻まれるシステムだ。
ここから、ニコニコ動画はユーザーの手に全て委ねられていることが分かる。
『動画 →視聴 →投稿 →(排除)』
この流れが動画に『空気』を生み出し、ルールが生まれ、公共的な場となっていく。
今のニコ動を見ると、これが彼の描く公共の場の姿なのかなって思う。
公共の場はテーマ設定者の腕に掛かってる
安易な考えだけど、これを置き換えればネットに『公共の場』を作ることが可能なんじゃないか?
簡単に言えば、『開かれた議論の場』が作られれば、それは公共の場として認知されるんじゃないか。
オレは2ちゃんねるとかは公共の場だと思ってる。
アクセス規制こそあるけども、誰もが書き込めて自分たちで治安維持をしている。
でも、アングラなイメージから一般人はROM専(読むだけの人)になってる傾向がある。
今は2chがあらゆるジャンルの話題を集約する形となっているけど、ここから図式を変えることができたら最高だよね。
2chは底辺ってイメージがあるけど、それは昔の話で今は中流以上の娯楽になってるそうだ。
そういう話があると2chスゲーってなるかもだけど、一極集中は続かないと思う。
現在2ch以外ではガールズちゃんねるとかが勢いあると思う。
誰かがテーマを定めて、それについて発言していく、そして情報が集積される。
ここで、一番大切なのは『テーマの質』と『治安』にあると思う。
でも結局、テーマがしっかりしてれば後は上手く進むんじゃないかなって感じてる。
ガールズちゃんねる的な全方位サイトは、コアファンが定着しにくい傾向がある。
人気のまとめサイトは総じてジャンルを定めてることが共通してるからね。
議論がおもしろくなる要因は、『いかに考えさせるテーマ』を設定できるかどうかに掛かってる。
だから、公共の場を活性化させる要因は『テーマ設定者の腕』に委ねられてると思う。