【概要】
- インターネットは皆平等と思いきや次第に覇権争いが勃発している。
- そして少しずつインターネットを牛耳る存在、すなわち『王様』が確立してきた。
- ネットインフラを誰が整備するかによってもネットの未来は変わっていくんだと思う。
王の新たな能力はネット民の返答を待つまでもなく是非の判定を可能としている
ネット民の絶対的依存度を知りつつなお禍々しく明瞭に発せられる殺意に塗れたオーラは
是非に関わらずその答えが王の意にそぐわぬ場合デリートを以って償う他無いことを示していた
忠義も敵意も王の前では皆平等に無価値!誰も止められない…!!
【内容】
これからのインターネットについて真面目に考える
ほんの数年前のサイトがもうデリられているじゃないか。
現段階ではどうしてもインターネットはその場しのぎ的な使い方をしてしまいがちだ。
もうすこし後世の事も考えてネット社会を作っていくべきだと思うんだが。
それからネットでの関係が大きくなるにつれて思うのは、葬式の件だ。
ぶっちゃけリアルの友人よりもよく分かり合えてるネット上の知り合い(メル友など)も多いだろう。
しかし、実際に会うこともなく本名も知らなかったらどうする?葬式は?
たとえ葬式に出たとしても記帳の際どうする?まさかハンドルネームを書くわけにも行かぬ。
そういったインターネット社会のこれからについて本格的に考えて行きたい。
>ぶっちゃけリアルの友人よりもよく分かり合えてるネット上の知り合い(メル友など)も多いだろう。
妄想。判ってる気になってるだけ
ネットだけでは実際は何もわからない
http://harayuan.ld.infoseek.co.jp/
内にあるブログ、2004年11月26日のページで、
http://blog.livedoor.jp/harayuan/archives/9854329.html
東京・高田馬場でHARA氏の自転車に「ぶつかってきて、バーエンドに腕を絡ませて因縁
を付けてきた」という対人トラブルの顛末が書かれている。ここでは、「因縁を付けて
きた」とされる「マツヤ」なる人物の顔写真が公開され、「この自称『マツヤ』なる男
に筆誅を加えるものである」と一方的に相手を非難する文章が書き連ねられている。
「マツヤ」氏は、自転車に衝突した時点で警察官を呼んだとのことだが(2名の警察官
の顔写真も公開されている)、その行為をHARA氏は「警察に対して虚偽通報にあたる」
とし、「マツヤ」氏が逮捕されないことに怒りをぶつけている。ブログをこのように使
うことが、公序良俗に反することは当然であろう。一方的に攻撃され、顔写真と全身写
真を公開されている「マツヤ」氏の権利侵害に対して、なんら救済措置・対抗手段をと
る方法がないことが、ブログの持つ致命的な欠陥ではないだろうか。つまりはインター
ネットの持つ問題点でもある。
インターネットの常識として
過剰攻撃の場合、サイト管理者が法的に罰せられないと
直らないという事がわかっている
>>7
HARA氏(W大学第2文学部のOBらしいですが)の場合、「筆誅を加え」ている相手の
肖像権の問題はどうなるのでしょうか? この「マツヤ」氏は、自分の画像がネット
で晒されていることなどまったく知らず、晒されたまま泣き寝入り、ということに
なるのでしょうか? それともブログを提供している業者がなんらかの措置をとる
ようなことはないのでしょうか?
至近距離から何枚も写真とってるわけで、
警察のお墨付きもらってやってるようなものだな。
他のページも見た感じでは、この人物のことだから「晒すぞ!」と言ってるかも。
ちなみにこの「マツヤ」なる男、かなり余罪があるらしい。
>>19
>>26
>>27
「マツヤ」の大きな写真、あります。このひと、原英樹サイトで自分が晒されているのを
知っているんだろうか? インターネットはこわいわ。どこで自分の写真が公開されて、
罵倒されているかわからんからな。ホリエモンも、ネットの可能性ばっかり言ってないで、
原英樹のサイトと「都市生活改善ボランティア」で勉強して欲しいね。そういえば、この
原のブログはライブドアだな。
http://image.blog.livedoor.jp/harayuan/07defe03.JPG
たしかにホリエモンのフジ攻めに役立ちそうなコンテンツもあるわな。
それでウヨなフジ産経グループが少しでもかわれば、サヨな原が喜びそう。
他者の手が入っていない文章。この点が、印刷されている紙のメディアとの違いで、
この違いはかなり重みがある。
http://blog.livedoor.jp/harayuan/archives/9854329.html
この原英樹主宰の「都市生活ボランティア」のように、自分でウェッブ・サイトをつくって、仮想空間に一つの団体を
つくると、まるで現実に一つの団体が、あたかも法人格を持ったかのように存在しているという「錯覚」を起こして
しまい、自分自身も個人ではなく団体の代表者として振る舞うようになってしまう。
この仮想空間の仮想団体を足場にして、自分がまるで多くの市民の意見を代弁しているような妄想を抱き、自分の考え
方や生活スタイルに反するものへの執拗な攻撃(テレビ局その他への弾劾文の送付など)をおこない、その行為が自分
個人によるものではなく、市民の声を代弁する団体の意思でおこなったように装い、当人自身もそうした妄想のなかで
生きるようになってしまうのだ。
http://blog.livedoor.jp/harayuan/archives/9854329.html
この原英樹主宰の「都市生活改善ボランティア」のように、自分でウェッブ・サイトをつくって、
仮想空間に一つの団体をつくると、まるで現実に一つの団体が、あたかも法人格を持ったかのよう
に存在しているという「錯覚」を起こしてしまい、自分自身も個人ではなく、団体の代表者として
振る舞うようになってしまう。
この仮想空間の仮想団体を足場にして、自分がまるで多くの市民の意見を代弁しているような妄想
を抱き、自分の考え方や生活スタイルに反するものへの執拗な攻撃(テレビ局その他への弾劾文の
送付など)をおこない、その行為が自分個人によるものではなく、市民の声を代弁する団体の意思
でおこなったように装い、当人自身もそうした妄想のなかで生きるようになってしまうのだ。
※18の訂正(「都市生活ボランティア」→「都市生活改善ボランティア」)
写真も文章もちゃんとあるよ。人を卑怯者呼ばわりする前にしっかり見なよ。
写真3枚も入れてるから重くて出てこなかったのかも。
http://blog.livedoor.jp/harayuan/archives/16359846.html
原英樹のブログ、自転車でトラブった相手と駆けつけた警察官の顔写真を晒し、「筆誅」
といって得意がっていたが、2ちゃんその他で批判され始めるや、トラブル相手である
「マツヤ」の大きな顔写真を画面から外し(警官と並んでいる写真はあいかわらず晒し
たまま)、さらにブログのURLまで変えてしまった。卑怯者、都市生活改善ボランティア
原英樹!
改ざんされてしまうインターネットに
何の意味があるのでしょうか?
http://blog.livedoor.jp/harayuan/archives/51550829.html
>青春18きっぷが9月に入ってからも2枚残っていた。残ったまま無駄にするのはルンプロ的高等遊民らしくないと、身体に鞭打って、出かけることにした。
「ルンプロ的高等遊民」ってニートって事だろw
http://blog.livedoor.jp/harayuan/archives/51552433.html
>機械の一部品のように細分化され規格化された労働も,平素の学校とは違った,一過性の非日常化されたものであるうちは,「貴重な体験」として楽しくおもしろく“学習”するだろう。
しかしそこから,資本主義社会における疎外された労働についての「貴重な体験」として覚醒することは難しい。
勤労を尊ぶ精神を養わせようとする目論見も,かかる労働からとなれば,歪曲・矮小化されたり失敗に終わったりする可能性が高いが。
要するに、「働いたら負け」と言いたいだけだろw
http://blog.livedoor.jp/harayuan/archives/51554198.html
>渋谷109前ほかで,日清食品のカップヌードルの無料サンプリングが行われていると聞いていってみた。
誕生日に乞食の図www
いたってマジメだが、このスレ進むんだろうかな・・・?
まあ、のんびり構えてまずは質問
>>1の書き込み内容からすると、技術的にネットがどうなるかというよりは
社会的なネットの位置づけや、それらをとりまく価値観がどうなるか、ということを取り上げたらいいのかね?
技術的なことは良く分からないから、そういうわヂアなら続けたい
儲けることばかり考えてしまって、人間や社会とのかかわりすなわち哲学
をあまり議論してこなかったとインタビューで答えている。また東浩紀氏は
インターネットは人間の感情すなわち「下半身」を可視化してしまったので
はないかと答えている。
これからのインターネットはそういった負の面と誰でも情報を発信できるという
最大のメリットをどう両立させていくかが問われてくるのだろうな。
インターネットはセレンディピティ的なものを生み出してるんじゃないかな
インターネットの発達は凄い。
何が凄いって、単なる技術革新だけじゃないってとこが凄い。
個人的にインターネットは産業革命並に影響を与えていると思う。
その中で、「ネットの良いところは?」って話になると「繋がることだよ」ってなることが多い。
反論とかでなく、それもありだけどでもそれじゃ言葉足りずだと感じる。
繋がること、それはいい。
けど繋がりが浅いか深いかはまた別の話になる。
おれが考えるに、ネットの一番良いところは時間的制約を超えるところにあると思うんだ。
セレンディピティ(serendipity)とは、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見する「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけにひらめきを得、幸運をつかみ取る能力のことである。
「serendipity」という言葉は、イギリスの政治家にして小説家であるホレス・ウォルポール(ゴシック小説『オトラント城奇譚』の作者として知られる人物)が1754年に生み出した造語であり、彼が子供のときに読んだ『セレンディップの3人の王子(The Three Princes of Serendip)』という童話にちなんだものである(セレンディップとは現在のスリランカのことであるから、すなわち、題名は「スリランカの3人の王子」という意味である)。ウォルポールがこの言葉を初めて用いたのは、友人に宛てた書簡において、自分がしたちょっとした発見について説明しているくだりにおいてであり、その書簡の原文も知られている。
この私の発見は、私に言わせればまさに「セレンディピティ」です。このセレンディピティという言葉は、とても表現力に満ちた言葉です。この言葉を理解していただくには、へたに語の定義などするよりも、その物語を引用したほうがずっとよいでしょう。かつて私は『セレンディップの3人の王子』という童話を読んだことがあるのですが、そのお話において、王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、彼らの聡明さによって、彼らがもともと探していなかった何かを発見するのです。たとえば、王子の一人は、自分が進んでいる道を少し前に片目のロバが歩いていたことを発見します。なぜ分かったかというと、道の左側の草だけが食べられていたためなのです。さあ、これで「セレンディピティ」がどのようなものか理解していただけたでしょう?英英辞書では以下のように説明されている。
Serendipity: the natural ability to make interesting or valuable discoveries by accident
— Longman Dictionary of contemporary English貼り付け元 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%94%E3%83%86%E3%82%A3>
↑この言葉の使いドコロや意味については良く分からない。
でも、イメージしてるのはこういうもの。
インターネットはこういう現象が起きやすい環境を整備してくれたことが功績だと思う。
言葉にすると難しいね。
まず、物理的身体に頼らずに繋がることができる空間を作ってくれたこと。
それによって、年齢差や肉体的な束縛とか、交流に制限が無くなった。
だから、知的財産が時間を超えて共有されることが可能になった。
こんな感じかな。
ヴァン「アヤク!オイヨイヨ!!」
アーシェ「え・・・!?」
バルフレア「おーい、ヴァンの翻訳者連れて来たぞ」
↑今までならその場にいるメンバーだけでヴァンの翻訳をしなければならなかった。
でもそれがネットの普及により人的資源が活発に繋がり、リアルタイムで解析が可能となった。
インターネットは繋がる力を呼び起こす。
それに間違いは無いけど、『時間を超えて』ってのはとても大切なことだと思う。
そしてインターネットは『情報を集積』することが可能にするってのも素晴らしいこと。
もし誰かが死んでも人が残した言葉がネットに刻まれる。
死んでも死なない、でも誰かは誰かに成り得る危険性もある。
ドラクエ7「人は誰かになれる」
なるほどドラゴンクエスト7なんですね分かります(≧∇≦)/