渚カヲル「楽譜に眠る音を呼び覚ます――音楽は人を覚醒させるんだ」
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海外 おもしろ ドッキリ! 街中でオーケストラ  フラッシュモブ

この動画を見て自然と涙が溢れた。

最初は半信半疑の表情から次第に満面の笑顔に変わっていく姿は本当に素敵だ。

 

電柱から指揮する女の子、彼女に説明する彼氏、踊り出す子ども、赤ちゃんに微笑む母親――

フラッシュモブやドッキリ企画の良いところはそういう笑顔と衝撃にあるんだなと思う。

 

『歓喜の歌』だと認識した瞬間の安堵感からは言葉では言い表せない何か不思議な暖かさを感じる。

この曲には何か人の感覚を刺激する魔法が宿っているんじゃないかな。

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

 

変わる時代と変わらぬ想い

切符が売れれば売れるだけ、当然興行主の手許には、より多額の金が集まることになった。そのため、ホールの客席数がどんどん増えていった。しかし、そうなるとコンサートホールが広くなるだけ、大きな音で演奏する必要が出てくる。とにかく、一番最後列の席でも、音楽ははっきり聞こえなければいけない。その結果、音楽は室内楽から交響曲へと、その形式が変わった。

〈アルビン・トフラー〉

 

第二の波が訪れた時、人は『自分』のためではなく『誰か』のための製品作りに追われるようになった。

長かった農業文明の時代には、芸術家はパトロンのために仕事をするのが普通だった。

しかし演奏家や作曲家、画家、作家たちも、次第に市場に左右され始めた。

 

音楽学者クルト・ザックスは、彼の定評ある『音楽の歴史』の中で、「18世紀における貴族的文化から民衆的文への移行によって、音楽会場は小さなサロンから、先を争って巨大なコンサートホールに変わってしまい、ホールが大きくなるればなるだけ、いっそう音量を上げる必要があった」と書いている。

 

つまり、当時は電気的に音量を上げる術が無かったため、次々に楽器と演奏家の数を増やした。

その結果生まれたのが近代の管弦楽団であり、ベートベンやメンデルスゾーン、シューベルト、ブラームスなどが壮大な交響曲を書いたのも、こうした産業社会の仕組みのためだったのだ。

 

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歌はいいねぇ。歌は心を潤してくれる。

リリンの生み出した文化の極みだよ。

そう感じないか?碇シンジくん――

 

楽譜に眠る2次元の音を3次元に呼び覚ます。

込められた想いを汲み取って世の中に送り出す演奏者は尊重されるべき人種だと思う。

 

第一の波から第二の波へ変わったことを嘆く人が多いけど、悪いことばかりじゃない。

現代にも継がれる傑作が生まれたことは評価されるべき最高の出来事だと思った。

本物の男はリハーサルをしない ~誰も笑ってはならぬ(演奏中は)~ プロ・オーケストラの秘められた世界 (BUYMA Books)

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