求道者と呼ばれる人間は『何』を見ているんだろう――

「あきらめないから、夢を見られる。夢を見るから未来は来る…!」

これはNARUTOの映画第一作、雪姫忍法帖で最も印象に残っている言葉です。

 

この言葉から、楽しいことを持続させることって大変だと思った。

 

「継続して努力出来る人が天才だ」

プロスポーツ選手の間ではこんな言葉がよく囁かれている。

 

就活で「やりがいがあるかどうかでしょ」と言う人がいる。

やりがいがモチベーションの持続に繋がり、質の高いパフォーマンスに繋がる。

多分、意識の流れはそんな感じ。

 

でもやりがいって降ってくるものなの?それとも探しだすものなの?

 

与えられたものでモチベーション上がってパフォーマンスが向上する。

探しだしたものでモチベーション上がってパフォーマンスが向上する。

 

どちらも似ているけど、何かとても大事で人間らしい部分が違うなって思った。

結局、「すぐやる人」がすべてを手に入れる

 

『知らないものを探しだす』から『知っているものを探しだす』へ

草薙素子

草薙素子「娯楽は常に一過性であるし、またそうあるべきだ」

 

楽しいことは一過性であり、本来そうであるべきって意見もある。

ならばネトゲも娯楽の1つ、だけどメーカーは永続性を提供していてユーザーもそれに呼応している。

不思議な変化と関係だ……

 

課金が強く主張し始めてから娯楽は一過性でなくなって来ている。

パチンコや競馬は一過性、ネトゲやSNSは永続的みたいな感じで、花火が一瞬、傀儡が永遠、そんな対比とも似ている。

 

でもそれらは提供されているものであり、受動的な姿勢だ。

受け身だから楽しいことが持続出来るし、ネトゲ廃人なんてのも生まれるのかもしれない。

 

そう言えばゲーム業界の一番怖いところはそこだと思う。

 

というのも、今までは与えられた『満足感』に浸ることで廃人を生み出していた。

それが、収集(コレクト)から来る『欲望』に嵌まることで廃人が生まれ始めている。

 

物凄く些細な変化だけど『知らないものを探しだす』から『知っているものを探しだす』になってきた。

これってスゲーなって感じた。

 

何が言いたいかと言うと、本当に難しいのは能動的に楽しいものを追い求めることだということだ。

言い換えると、『満足感を継続させること』が一番難しいことだなって思った。

 

バッジョやイチローのように求道者の姿勢を維持するのは本当に難しい。

何で何十年間もずっと1つのものを愛し続けることが出来るんだろう。

 

本当にそれが好きなのか、それともそれしか無いからやっているのかは分からない。

それでも、ずっと長く研鑽を重ねることはとんでもないことだ。

 

つまり、能動的に満足感を維持し続けるために夢が必要なのかなって思いました。

ロベルト・バッジョ自伝 天の扉

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