2018年には広く浸透しているであろう新しいメディアリテラシーの形態をお知らせします

【導入】

「消費者の想像力を駆り立て、購買意欲を刺激すること」

世の中に広がるほとんどの広告や宣伝は↑を意識したものとなっています。

 

「それ」を手に入れることで、自分の生活がどんだけHAPPYになるのか。

それを実感すればするほど、消費者の物欲は刺激されていきます。

例えばAppleのiPhoneとかはジョブズのプレゼンで人々の心に火が付いた。

[Henshin]_Shin_Seiki_Evangelion_04_(R2DVD_x264_720x480_AC3)[21-32-50]

 

【本題】

 …そこで私は考えた。

世の中の情報(時事や経済、スポーツ芸能)も想像を駆り立てるものならどんなに素敵だろうってね。

 

ユビキタス社会は情報が多すぎる。

 

メディアリテラシーとかホントにお笑いレベルで役に立たない。

数多くの類似する情報を読み込み、取捨選択して自分の考えを構築せよって言うけどさ。

結局、正しいかどうかの真実は媒体を経由する限り確かめることはできないでしょ。

 

 このサイトを運営する中で、情報に関連する3つの特徴が見えてきた。

 1つは、「現代人は他人の意見を聴いてみたいっていう欲があること」

情報が多すぎて自分の判断に正当性があんのかないのかに敏感になってる。

 

私もそう。

あるニュースを読んだ時、自分の解釈は大丈夫かたまに心配になることがある。

だから、安心感を得るために人のコメントに目を通すことが多くなってきた気がする。

 

人の意見を知るとなぜか気持ちが落ち着く。

私は十人十色の考えを知ると、自分の考えを俯瞰して見れるから好きかな。

 

2ちゃんねるが一般的に知名度を高めている理由も「他者の意見」にあるのかもしれない。

ねらーが書き込む多種多様な意見を見て、自分の立ち位置を再確認して安堵する。

そんな心理が広く受け入れられてきたのかもね。

 

あと、ニュースサイトにコメント欄が増えたのも興味深い。

誰かの批評を誰かと共有することで一体感を感じることができる。

コメントを通じて、書いた人は自己顕示欲を満たして、見る人は安心感と好奇心を得ているように見える。

 

「誰かと繋がりたい」人はこの欲求を満たすためにリアルでもネットでも奔走している。

ツイッターやFacebookなどのSNSが出会い系と揶揄されないのはなぜだ?

 

SNSが正当性を保って存在しているのは、「繋がる欲求を満たすツールが必要だ」

ってことが暗黙知として成立されてるからなのかもしれない。

 

 2つ目は、「情報が質より量、速度を優先する形態に変わってきたこと」

速報とか鮮度いう言葉がかつてないほど広まり、注目を集めている。

例を挙げると、2ちゃんねるのまとめサイトの多くは「~速報」って題が付いてる。

 

情報に対する価値が「質<量<速度」という形に置き換わってるのが今のトレンド。

「速度があれば人が見る→量があれば惹き付けられる→質は類似記事で摂取してね!」

↑こういうのを見る人も無意識に理解して受け入れてる節がある。

 

良い悪いの問題じゃなくて、それが今のトレンドなんだなって感じてる。

 

この理由の1つは、ユビキタス社会だと思う。

スマホによって時と場所を選ばない情報収集が可能になった。

 

だから最速の情報をキャッチできる人があらゆる時間帯に存在する。

そして律儀にも拡散してくれる。

当然あらゆるサイトは知名度的な観点からも速度を意識する。

 

速度と量があれば、質は自ずとメディアリテラシーとやらで人々が高めてくれる。

 

 3つ目は、「1つ1つの情報をじっくり吟味する時間が少なくなっていること」

情報量が多い、情報爆発ってレベルじゃねーぞ。

 

近頃のニュースサイトは「ビッグデータで観覧数の多いもの」を選りすぐる手法を取ってる。

つまりこれは、情報が捌き切れないほど膨れ上がってるとも考えられる。

 

この形態がより進めば、人を煽動する何かがあれば、世の中を牛耳ることも可能…?

悪巧みしてる人にとっては好都合な展開かもね。

 

そう、で、情報多いから1つの記事にかける時間が少なくなってきたと思うんだ。

以前なら「読み込んで考えて次!」だったけど、今じゃ「読み込んだら次!」って感じになっちゃった。

で、誰かに話してる最中に「私はこう思うな」って結論出してる自分がいる。

 

そして会話で新しい知見が広がっても、今日のニュースがあるから改めて調べる手間が億劫になってる。

もちろん会話が無ければ考えることもない…これはヤバイと思う。

 

サイトが速度と量を意識した結果、私達の意識もそれに同調し始めてる。

「速度があれば人の優位に立てる」そういう意識が生まれてきてるのかもしれない。

 

 じゃあ、情報を扱う上で最も大切なことって何だろう。

私は「想像によって創造すること」だと信じてる。

 

突き詰めれば、あらゆる情報は簡略化できる。

 

例えばワールドカップでスアレスが噛み付いた事件を知ってる?

あれに関して多くの情報が流れてるけど簡単にまとめればこうなる↓

 

1.ウルグアイ代表のスアレスが相手に噛み付いた。

2.過去にもやってることを鑑みてFIFAは彼に出場停止処分を下した。

3.国は彼を擁護したが結果は変わらず、さらに代表は負けてしまった。

 

もっと簡単にするとこうなる↓

スアレス噛み付く→出場停止処分→ウルグアイ敗退

 

で、ニュースサイトに流れる情報ってのは簡潔な情報に色を付き加工を施したもの。

人はそうした情報を読み取り簡潔にまとめる作業を繰り返すことを繰り返している。

 

けど情報を簡潔に表現できるってことは、類似する内容がたくさん増えるってこと。

「ついカッとなってやった…」って感じに動機もテンプレされる。

 

じゃあ情報を取捨選択して簡潔にまとめていけばOKなのか?

情報について自分の立ち位置を明確にすればOKなのか?

…それじゃつまらないと思うんだ。

 

 私は、情報は事実であり、事実から何を引き出せるかが面白さだと思う。

つまり事実からユーモア溢れる想像をすることが価値に結びついていくと考えてる。

 

情報量が多くて事実(情報)を読み取るだけで時間が過ぎていく。

事実は記事タイトルだけ見れば大体分かるものが多い。

それに読み取るだけなら誰でもできる。

 

なんていうか、情報を読み取るだけだと自分が哀れで仕方ないと感じる。

「お前は情報を読み取る機械か?」って感じ。

 

メディアリテラシーでは主に「自分の考えを持つこと」に価値を置いてる。

でもそのプロセスとして、事実から「考え=価値」を見出すために想像することが大切。

 

「もしこれがこうだったら…」とか、「このコメントからコイツの心理は…」とか。

あとは「これといえばアレを思い出すなあ…」とか。

1つの情報から何かを想像することによって派生させて価値へ転換すること。

 

情報から新たな情報へ繋げていくために想像は欠かせないものなんです。

そして結果的に、想像することで情報に自分から向かう姿勢が取れるのではないだろうか。

 

つまり、「想像によって価値を創造していくこと」が大切なんじゃないかと感じています。

あなたにおすすめの記事