八雲「播磨さんが魔法少女アニメにハマった」
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播磨「そろそろ新しいアシスタント募集するか」 八雲「えっ!?」
八雲「播磨さんを家に呼んだ」
http://rapport-analysis.com/2016/10/post-9451/
※播磨と八雲は交際中
八雲がキャラ崩壊気味
播磨「……」カキカキ
八雲「……」カキカキ
播磨「……っと、もうこんな時間か。そろそろ休憩にしようぜ、妹さん」
八雲「そうですね。私、お茶を淹れてきます」
播磨「おう、頼む。……じゃあ、俺はテレビでも」
八雲「播磨さんお茶が入りました」
播磨「そこ置いといてくれ」
八雲「あ、はい」
八雲(またあのアニメ見てる……)
八雲(そういえば最近漫画の内容も魔法少女になってた気が……)
八雲「……ということが」
サラ「へえー、それで八雲はその魔法少女に嫉妬してるわけだ」
八雲「ちがっ、そんなんじゃないから」
サラ「でも播磨先輩にもっと自分を見て欲しいのは本当でしょ?」
八雲「それはそうだけど……って何言わせるの」
八雲「もー、サラッたら」
サラ「で、どうするの? このままだと播磨先輩が二次元にしか興味を持たないオタクになっちゃうかもよ?」
八雲「えっ!? それは……困るけど……」
八雲「店長!? 聞いていたんですか!?」
飯田橋「まあ、聞きなさい……ゴニョゴニョ」
八雲「……なるほど」
播磨「コスプレ喫茶ぁ!?」
播磨「へえ、世の中には不思議な喫茶店もあったもんだな」
八雲「それでメルカドの店長が新しいコスプレ衣装の研究をしたいから調査してきて欲しいと……」
播磨「で、俺にも一緒に来て欲しいと」
八雲「はい。一人ではその……恥ずかしいので……」
八雲「ダメ……ですか?」
播磨「わ、分かった。俺も腹括るぜ。それに漫画の衣装の参考になるかもしれねーからな」
八雲「じゃあ、次の土曜日に行きましょう」
播磨「おう!」
八雲「播磨さん、お待たせしました」
播磨「いや、俺も今来た所だ」
八雲「ではさっそく行きましょうか」
播磨「おう」
カランカラン
店員「いらっしゃいませ、何名様でしょうか」
播磨(コスプレ喫茶というだけあって、店員も珍妙な格好をしている奴が多いな。思わずビビっちまったぜ)
店員「店内に置かれている服は着用自由なので、是非ご利用下さいね」
八雲「可愛い服……播磨さんもそう思いません?」
播磨「お、おう、いいんじゃねえか?」
スクランはコミュニケーションの面白さを教えてくれました…
■自己満足が産む快楽
なぜ、スクランを読んでいて楽しいと感じるのか。
例えば心地良いと感じる場面を、個人的な気持ちで吟味して選び出してみると、上記で挙げてきたような「誰かの誰かへの感情が相手に届いていない」という状況が作り出されている瞬間を特に楽しい、と感じているようだ。皆さんの場合はどうだろう。
相手に感情が届かないとはどういうことだろうか。また、それがなぜ読者の快感に繋がるのだろうか。
それは「相手に届かないことによって、その感情が内攻して純化する」からではないか。片想いの感情は、屈折しながらも純粋だと称されるのと同じで。特に優しさやお節介、「親切心」の在り方に絞って更に踏み込んで考えてみたい。
スクランには、世話焼きや親切な人達が良く登場し、彼らのお節介こそが物語を動かしているとさえ言える。しかし「片想いは、振り向いてもらえない」というラブコメの法則と同じレベルで、彼らの親切心がそのまま相手に届くということも、その感謝を本人に返すということも、殆ど無い。どこかで必ずステップを踏み外したり、ズレを生じさせていたり、苦みを含んだものであったりする。仮に感謝の言葉があったとしても、なぜ感謝されたのかが伝わらないまま会話が流れたり(KC13巻♯154など)、充分に自分の感情を示しきれなかったりする(前出したKC2巻♭03など)。
つまり親切にした側は、結果的に「見返りの無い善行」をしていることになるし、逆に親切にされた側は、感情的に「借りを返したつもりになれない」まま、いわば「ツケ」だけが内攻して貯まっていく。すると読者にとってどういう「感じ」が喚起されるかというと、親切にした側を見ては「いいことをして満足した気分」や「無償の愛の強さ」を感じ取り、親切にされた側を見ては「何かお返しをしたくなる負い目」と「愛されている気持ち」が強く湧き起こるのだ。
KC7巻01において、天満の書いた「しっかりした お姉ちゃんになって 八雲を守って あげられますように」という短冊を盗み見た八雲が、姉の幸せを強く願う(「強く」などと誇張した描写は特にされていないのだが、 読者である我々は「強く」だと感じる)エピソードなどにそれは良く表れている。
もし親切心が直接受け取られ、謝礼も直接返すことができた場合にはこういった感情は発生しえない。謝礼を返されてしまった時点で自己満足の気分は消失し、謝礼が受理された時点で負い目は解消されてしまうからだ。人間関係が円滑になることで、逆に感情の純度が損なわれるのである。
返報性の原理によって負い目を感じ、心にツケを貯めた人は、また別の機会に、全く関係無い場面でそのツケを相手に返そうとするだろう。しかしそんな人から唐突な親切を受けたとして、その親切さの真意(=自分に対するお返しであるということ)が読み取れなかったとしたら、どうなるか。その「親切」に対する新たな負い目とツケが発生することになり、無限に貸し借りが連鎖していくのではないか。
例えば、沢近はことあるごとに播磨に救われていて(リレー競争やお見合いの時)、しかしそのお礼がすぐに届けられることは少なく、ずっと後になってから「お返し」することになるのだが、当の播磨は親切にされた理由が良く解らないまま、恩に着ている所がある(天満の誕生日や周防組のバイトの時)。
花井と美琴の関係も例に挙げてみよう。花井は美琴に対して強い憧れと負い目の記憶を残しており、その気持ちを今でも失っていないが、そのことを本人に伝えたことは無いようだし、美琴自身も忘れている(KC3巻♭08参照)。しかし今も花井が美琴を大事にしている(KC4巻♯52,9巻♯109,10巻♯126参照)のは、過去に作ったツケに衝き動かされているからに他ならないだろう。だからこそ、花井は何も見返りを求めずに美琴を助けようとする。
一方、美琴にとっての花井は、かつて自分よりも弱かった筈が、いつの間にか「助け慣れたな コイツは」などと言われる相手に成長していて(KC3巻♯42参照)、むしろツケを作り返された関係になってしまっている(かといって、花井の側に「ツケを返しきった」という意識は微塵も無いだろう)。と同時に、本質的にお節介な性格である美琴からすれば、花井は「見てらんない」バカな男でもあり(KC8巻♯100参照)、良く花井の世話を焼いている。そんな美琴に対して、今の花井はどう感じるか。
スクランでは、思いやりや親切心などは、そのままの形では相手に届かないし、返されない。特に白眉だと思えるのが、KC12巻♭33の、花井がレッサーパンダの空太と戦うエピソード。花井は八雲の為を思ってガムシャラに邁進し、当然それ自体は八雲にとって何の役にも立っていないのだが、翌日に八雲は「花井のメガネをかけた空太」をテレビで見て「あ… かわいい…」と、一時の和らぎを得る。そういう形で届いているのだ。花井自身には気の毒なだけの話だが、地味な味わいのあるエピソードだと思う。
ここで興味深いと思うのは、読者である我々人間は(良い意味での)「自己満足」を感じたがる存在だということだ。健全な形で発露した自己満足は、気持ちいいものなのである。
「ありがとう」と言われたがらないミャンマー人の話がある。自ら進んで行った善行が──つまり無償の行為が──、謝礼を受けた途端に「見返りを期待した打算」へと貶められてしまうような気がするからだろうか。「ありがとうと言われると、せっかくした良いことが帳消しになってしまうような気がする」「何かをあげて、『ありがとう』をもらう。これで差し引きゼロになってしまう」、ということらしい。
確かに、人に「借り」を作らせたまま、与えっぱなしにするゆとりを持つということは、気分がいいものだ。しかし世間的な風潮として、そういった自己満足は禁じられている傾向にないだろうか。エゴイストの偽善であるとか、勝手な思い上がりであるとか、自己完結した愉悦だなどと片付けられることも少なくないと思う。我々は「自己満足を見透かされないよう」善意を抑圧し、悪く言えばドライに振る舞わねばならない時すらある。相手に謝礼を支払うチャンスを与えて、カドが立たないよう気を遣ったり。
しかしだからこそ、漫画というフィクションの中で健全な自己満足の形を疑似体験できることに、我々は非・日常的な快楽を覚えるのかもしれない。フィクションの場合は第三者の視点によって「一方通行でも、結果的には親切心が相手に届いている」「相手が強く感謝している」事実を、謝礼というコミュニケーションを経ずとも確認することができるからだ(それは今まで例に挙げてきた通りである)。
スクランの中で描かれるお節介は、概ね健全な善意によるものであり、微笑ましい優しさである。双方向のコミュニケーションを目指すスクランの登場人物達だが、読者が求めているのは実は、一方通行が双方向性を得る一歩手前の……互いの愛情がギリギリ通じ合わない瞬間なのかもしれない。
意思疎通が成立しないからこそ、心地良い関係というのもありうる。しかし現実では、そう上手い具合に自分の善意の健全さを確認することはできず、ただの自己完結から抜け出ることも難しい。そんな日常生活では満足しえない欲求を補い、コミュニケーションの可能性を感じさせてくれるような……そういうフィクションはスクランに限らずとも多いと思う。皆さんにも思い当たる作品がいくつもある筈だ。
それは、「読むのが楽しい」ことなのだ。http://www1.kcn.ne.jp/~iz-/man/school03b.htm
播磨(でもこれも妹さんのためだ、耐えねーとな……)
八雲「じゃ、じゃあ私も着替えてきますね!」
播磨(妹さん、なんか楽しそう!? 案外乗り気なのか……?)
八雲(でもいきなりこれに着替えたらなんだかアピールしてるみたいかな……?)
八雲(とりあえず他のやつで様子を見てみよう……)
八雲「播磨さん、どうでしょう?」ニャン
播磨「猫耳!? ……これは中々……」
播磨「ああ、すまねえ。すげー可愛いと思うぜ。妹さんの猫耳が見れただけでもここに来た甲斐があったってもんだ」
八雲「そんな……私、着替えてきます……///」
八雲(そういえば播磨さんが好きな服装ってどういう感じなんだろう……)
八雲(やっぱりこういうのとか好きなのかな……)
播磨「あの、妹さん。それは……」
八雲「婦警です。……やっぱり変ですか?」
八雲(文化祭で花井先輩がすごく喜んでたから男の人は好きなのかと思ったけど……)
播磨「いやいや、そんなことねーって。すげーいいと思うぜ」ガチャ
八雲「窃盗罪です。私のこ……心を盗みました///」
播磨(ノリノリだなあー妹さん)
八雲「また着替えてきます」
播磨「え? 手錠はこのまま?」
八雲(ってあれ? ない……しょうがない、もう少し他のも着てみよう)
――数十分後、
八雲(返ってきてる。播磨さん、喜んでくれるかな……)
八雲「播磨さん!」
播磨「妹さん――その格好はっ!?」
播磨「マジカルマイの衣装まであるのか」
八雲「あの……どうでしょう?」
播磨「ああ……すげえ似合ってる。ただ……」
八雲(やっぱり変だったのかな……)
八雲「えっ!?」
播磨「今日は妹さんの色んな服装が見れて楽しかったけど、どこか無理してる感じがしたからよ。やっぱり自然体な妹さんが一番だな」
八雲「えっと……ありがとうございます」カァァッ
播磨「さ、そろそろ帰ろうぜ。結構長居したみたいだからよ」
八雲「はい!」
終
やっつけ
播磨「おい、妹さん! 俺もコスプレしてみたぜ!」
八雲「はい?」
播磨「どうだ、ポンチ絵大魔王だ」ムキッ
八雲「あの……播磨さん、服を来てください……」カァァッ
大塚(ああん! どうしてこんなところに播磨君と塚本さんの妹がいるのよおっ!)
今鳥「おっ、流石イチさん。ドジビロンピンクが板に付いてるぜ!」
八雲「そういえば播磨さんはあのアニメのどこが好きなんですか」
播磨「いや別に好きってわけじゃあないんだがよ、アングルが参考になるシーンが多いんだよ」
八雲(……もしかして私勘違いを?)
終わり
八雲の声優は能登さんだよ?