【概要】
- ポゼッションサッカーを世に知らしめたバルセロナが崩壊しつつある。
- 監督と選手のどちらが主導権を握るべきなのか、これは全てのチームに通ずる問題だと思う。
- 問題解決のためには、チームのカタチを見直さなきゃならないのかもしれないね。
【参考】
メッシを処分しようとしたバルサのルイス・エンリケ監督、主将たちが必死の説得で止める!
【展開】
バルサ落日の日
メッシ「何でオレがベンチなんだ…?」
エンリケ「うるさいぞ!これで終わりにするか続けるか!選べメッシ!」
メッシ「そんな決定権がお前にあるのか?」
↑バルセロナの黄金期の中心選手であるメッシ。
彼はバロンドーラーであり世界最高峰の選手であることは疑いない。
チームはメッシの居心地を考えたチームを作ってきた経緯がある。
メッシが活躍すればチームは勝てる。
調子が悪ければチームの雰囲気が悪くなる。
ロベルト・バッジョみたいな影響力って言えば分かりやすいかな。
けどそんなメッシの影響力が強すぎた結果、新しい問題が噴出してきてる。
決定権の所在
権力「呼んだ?」
↑権力の解釈は色々あるけど、ここでは『権力=発言力』としておこう。
人が集団になると必ずコイツが出現する。
例えば学校にはスクールカーストという発言力の階級差別がある。
クラスに40人いれば色んな友好関係が出来て、所属する派閥で発言力が変わってくる。
社会の縮図と言われる学校は閉鎖された場所なので温室育ちの純粋なカーストができるってわけさ。
普通、クラスの最高権力者は担任だけど、学級崩壊などのリスクを考えると変わってくる。
だから『委ねて束ねる』ってスタイルの先生が最近では増えてるそうだ。
これは人心掌握が出来てればいいんだけど現実は責任転嫁になってるという話もある。
この話をバルセロナに置き換えると、『担任=監督 委員長=メッシ』になる。
今バルサは委員長が権力を持ち過ぎて、担任の意向は無視という状態になってるそうだ。
それを正そうとした監督がキレてメッシをベンチにしたらチームが負けた。
監督の威信は崩れてメッシも移籍したがるという負の連鎖…
バルセロナ黄金時代の落日が現実味を帯びてきたか…
パワーエリートとチームスタイル
ミルズ「結局、権力は少数の人間が握るやん!」
↑社会学者ミルズはパワーエリートって概念を提唱した。
荒巻「我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ」
↑攻殻機動隊の公安9課荒巻が素晴らしい理念を語った。
本来ならば監督が最高権力者であるはずなのにメッシがパワーエリートはダメだろって意見がある。
チームは勝つために試合をやっていて、勝たせる力を持つメッシを優遇しているのが現状。
チームの枠組みを考えると監督が力を持つべき。
勝つことを考えると実際に戦う選手が力を持つべき。
これは意見が割れる問題だと思う。
荒巻課長の言葉にある、『スタンドプレーから生じるチームワーク』に監督は必要なのか?
チームプレーなら指揮者が必要だろうけど、スタンドプレーは独立意思に基づいてるじゃん。
バルセロナがチームプレーを優先するチームなら、監督に権力を持たせるべきだと思う。
でもスタンドプレーを優先するなら、監督は情報や戦略を提供するだけで充分だし、選手に委ねるべき。
バルセロナは移籍や評判とかじゃなくて、組織の構造そのものを考えるべき段階に来ているのかもしれないね。