伊藤一刀斎「その一瞬に全身全霊を込められるかどうか」 ←真剣と笑顔は相反しないってことか

【概要】

天才肌の子どもは小さい頃からアレグリアを素で体現する。

でも周囲の大人がそれを抑えつけてしまう。

それって残念だなあって思った。

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ロナウジーニョが素晴らしいキャリアを積み上げていく中で、最もその輝きが増したのは05/06シーズンです。
この年、バルセロナはリーガ・エスパニョーラとCLの双方で優勝を果たしています。

そのシーズンのロナウジーニョを象徴する出来事はレアル・マドリードとのクラシコで起こりました。

2005年11月19日、レアルのホーム、サンチャゴ・ベルナベウで行われたクラシコ。
もはや手が付けられなくなっていたロナウジーニョはこの試合で圧巻のパフォーマンスを見せます。

クラシコ拍手

ロナウジーニョは今では世界有数のDFとなった若き日のセルヒオ・ラモスを子ども扱いしています。
 
そして送られた、敵地サンチャゴ・ベルナベウでのスタンディングオベーション。
 
世界で最も注目されるダービー、そのライバルファンですら拍手を送らざるをえない程、ロナウジーニョは輝いていたのです。
 
このシーズンの輝き、瞬間最大風速は今のメッシやC・ロナウドでもかなわない程で、世界中が彼の虜になっていました。
 
 
 
この頃のロナウジーニョやエトー、デコなどを見てバルセロナのファンになった人も多いと思います。

貼り付け元 <http://biggerlive.com/?p=8618>

この世にサッカーがある限り語り継がれるであろう伝説のシーン。

多くの人間がロナウジーニョの微笑みは確かな自信と実力に裏付けされたものだと確信したことだろう。

実力者が見せる笑顔からは凄みを感じるんだよなあ。

ロナウジーニョ The Smiling Champion

 

【内容】

ゾーンと覚醒は視点が違うだけなのかもしれない。

キャラクターなどが、それ以前には見せたことのない本気のや潜在を発揮することをす。

特に、「徴的な出来事」をきっかけとした劇的な変化について言われる場合が多く、日常の地な積み重ねや努の成果である場合は覚醒とは呼ばれない。(ただし、「徴的な出来事」以前にした努が、意味を持つ場合もある。)

徴的な出来事」としては、

      • 現状の自分ではできない危機的状況
      • 強い恐怖、怒り、憎悪、後悔、感謝などの感情
      • 自信を持つ、トラウマするなど自意識の
      • いままで知らなかった自分の才や素性に気付く

貼り付け元  <http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%A6%9A%E9%86%92>

『覚醒』はその性質上重要なターニングポイントとして扱われる。

現実に当てはめれば、それはアスリートが感じるゾーンのような感覚かな。

 

集中→ゾーン→覚醒

集中→覚醒→ゾーン

集中→ゾーン・覚醒

 

↑答えがあるわけじゃないけど、これって気になる。

集中力がプレイの出来を左右することから、も集中することは大前提だと思う。

その次に、覚醒なのかゾーンなのか、または同一なのかってのが気になります。

 

アスリートの世界では、ゾーンに入ると「それ以前に見せたことのない力」を容易に体現することがあるそうだ。

最近で言えばラグビーワールドカップで日本が南アフリカを撃破したやつとか覚醒でしょ。

 

あれヤバイ、個で勝てないからチームで勝ったとかいうレベルじゃない。

要所で個人の力が負けていたらチームプレーとか無いと思うんだ。

明らかに個人の力がどこかで僅かに一時的に上回ったに違いない。

 

けどそこに違和感を感じました。

 

『自分の内(主観的)で感じるのがゾーンで、自分の外(客観的)に表出するのが覚醒』

ゾーンと覚醒は同じ現象に対して視点が違うってだけなのかなって仮説を感じたんだ。

 

あと、『無我夢中』や『夢中の瞬間』、『没頭』とかってのはいわゆる『ゾーン』だと思った。

 

その上で、今おれが知りたいのはアレグリアの正体なんです。

ゾーンに入る技術 Forest2545新書

 

宮本武蔵VS吉岡伝七郎

真剣な眼差しと微笑んだ眼差しの違い。

間違いなくそこに答えかヒントが隠れていると思う。

 

決闘の時、二人の内は間違いなくゾーン状態。

その上で吉岡伝七郎の裡では『激流』が流れていた。

一方宮本武蔵の裡では『緩流』が流れていた。

 

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「絶対に負けられない!」

伝七郎には吉岡一門を背負う責任と覚悟を気迫として纏っていた。

周囲の素人は伝七郎に凄さを感じている。

 

バガボンド24巻

「なるようになるだろうな」

武蔵の心は行雲流水で一見緊張感に欠ける姿だった。

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でもその裡では冷静にビジョンを描いていた。

 

バガボンド(25)(モーニングKC)

「伝七郎の気迫は気負い、ただ固いだけ、刀が可哀想だよ」

 

結果は武蔵の勝利。

素人とレベルの違う吉岡十剣は武蔵を「融通無碍…そんな境地にいるのヤバくね?」と体感しており、その凄さを実感していた。

 

後に伊藤一刀斎が「感じるべきは楽しいかどうか」と武蔵に語る。

武蔵も「確かに斬るのが楽しかったんだよなあ…」と実感する。

これがアレグリアだと思う。

 

一刀斎の言葉で本当にビビッと来るのが、『その一瞬のみ、全身全霊でただ斬ることの裡に在る』という言葉!

吉岡清十郎的に言えば一の太刀であり、練り上げた気をその一瞬に乗せるみたいな。

まあ清十郎は覚醒した武蔵に切り伏せられちゃったけど。

 

かつて誰かがビートたけしを「笑っても目が笑わない」って言ってた。

要は微笑みの中でも覚めた自分を崩さないってことかな。

 

けどそんな強そうに見える宮本武蔵でも、佐々木小次郎には勝てないと肌で実感してる。

小次郎は水のような男だそうだ。

 

分かった。

 

真剣な眼差しは真剣そのものに見える。

だから周囲にも「アイツ頑張ってる!」って評価されやすい。

一方で、微笑んだ眼差しは一見真剣さに欠けるため「何ふざけてんの?」と評価されにくい。

 

大多数の人間がそう評価するから、コモンセンス的にもそれは「ダメなことだ!」として判断される。

けど実態は違う。

 

肝心なのは、『必要な時に必要な力を一瞬で表現出来るかどうか』なんだと思う。

 

プレーしてて楽しいとか当たり前だし、スーパープレーが成功すれば嬉しいじゃん。

「次はどんなマジックが待ってるのかな?」ってドキドキワクワクするのは大事な感覚でしょ。

 

でも反面、ゾーンは完全な個を尊重するから、勝負に勝って試合に負けるとか大局的な観点を忘れやすい。

つまり団体競技であれば、分別には注意しなければならないのかもね。

 

井上雄彦がその説明に『水』を使ったのが凄い、言われてみればとても分かりやすい。

 

ロナウジーニョの楽しそうなプレーがまた見たいです。

バガボンド(37) (モーニング KC)

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