【概要】
大阪の2人の子どもが45歳に殺害された。
けどニュースの伝え方に違和感を感じた。
何か大切なことを見落としてる。そんな感覚です。
山田浩二、お父さん、お母さん、友人、地域社会、担任…
2人に謝らなければいけない人は誰なのか。
【内容】
被害者の行動は全て正当化されるべきなのか?
8月13日、大阪・高槻市で中学1年の女子生徒が遺体で見つかった事件で、警察は、現場周辺の車の捜査などから、40代の男が関わった疑いが強まったとして、死体遺棄の疑いで逮捕状を取りました。
警察は男を取り調べ、容疑が固まりしだい逮捕する方針です。
8月13日の夜、大阪・高槻市の運送会社の駐車場で、寝屋川市の中学1年生、平田奈津美さん(13)が遺体で見つかり、前日から一緒にいたとみられる、同級生の星野凌斗さん(12)の行方が分からなくなっています。
警察によりますと、2人は、事件当日の午前5時すぎに、京阪電鉄の寝屋川市駅近くにある商店街の防犯カメラに映っていたほか、平田さんのスマートフォンからは午前6時40分ごろ、友人にメッセージが送られたのを最後にやりとりが途絶えていたということです。
警察は、2人が早朝に駅の周辺で車に乗せられ事件に巻き込まれたとみて捜査を進めていましたが、遺体が見つかった現場周辺の車の捜査などから、40代の男が関わった疑いが強まったとして、死体遺棄の疑いで逮捕状を取りました。
警察は男の取り調べを進め、容疑が固まりしだい逮捕する方針です。
犯行の動機などについて調べるとともに、星野さんの行方についても捜査を進めることにしています。
↑この事件が連日報道され続けています。
やはり、未成年の子どもが殺害されることはショッキングであり関心が高いようです。
2chでは特定班が動いて事件に関わる人間の情報を収集している様子。
そしてSNSでは「早く犯人捕まれ!」という声が溢れている。
最悪の結果です。
13歳と12歳の何の罪もない子供を、日本の未来を奪った犯人に激しい怒りを覚えます。
残念ですがこのような異常者が我々の街の中で、すぐ近くで子供達を狙っています。
まだ夏休みの最中です。地域で子供たちを守るしかありません。
夜9時以降に子供だけで出歩いていたら親でなくても注意する。
家まで送って親にも注意しましょう。
「アンタが悪い!」と。
出来ることをしましょう。
とてもとても悲しい金曜日です。
↑この言葉を聞いて何を感じるか。
個人的に「罪のない子ども」と「地域で子どもを守る」という言葉が何か引っ掛かった。
これは多くの事件に共通することだけど、傍観者の立場から見ると、「被害者がかわいそう(>_<)」って意識が働く。
やられた方を擁護する気持ちが芽生えてくる。
だから今回のケースでも、殺された子どもはかわいそうで犯人が絶対悪と考える人が多いと思う。
だけど殺された平田さんと星野くんは深夜に外を徘徊してたわけでしょ?
この前提はどうなんだろう。
事件に関わることのできない傍観者の立場から見ると、2人の行動事態に凄く疑問が湧き出てくる。
考えてみれば若干12歳を放置してること事態、そもそもまず異常なんじゃないのか?
だけどここで言いたいのはそういう罪の話じゃあない。
思ったのは、「誰がどこまで子どもを見つめるべきなのか?」ってことです。
コメントって言うほど必要なのか?
地域で見守るべきって言葉がイマイチピンと来ない。
なぜ子どもの行動と責任を第三者が担保しなければならないのか。
中学生の2人の心情は分からない。
でも、深夜に徘徊するぐらいだから「自分は大人だ!」みたいに勘違いしてると思う。
いわゆる「オレ強ェ!」みたいな皮被りの子どもが感じる万能感じゃないかな。
じゃあ仮に2人がどうしようもないDQN予備軍だったとする。
そんなワガママで唯我独尊の子どもを「地域が見守るべきだ!」なんて本気で考えてるのかって思う。
子どもが絡む事件になると必ず報道マスコミは地域社会を解決策に挙げるけど…
より良い社会とか理想を語る人は多いけど、子どもの更生って地域がそもそもする理由あるのかな。
正直、礼儀も尽くさない子どものために地域が手を尽くす理由がイマイチ分からないんだよなあ。
分かってる。地域コミュニティの効能は昔の古き良き時代ですでに証明されてるって話は。
ただ、量的個人主義から質的個人主義へ転換を果たした時点で『見守り方』は変わったと思うんだ。
昔「ごはんが危ない!」スッ
今「ごはんが危ない!」サッ
↑昔は直接的な見守り方で、自ら介入することが多かった。
お節介なおばちゃん像とかって要はこれじゃん。
けど今は間接的な見守り方で、撮影したり見ることで空気を演出してる。
今回の事件でも、介入は無いけど証人はきっちり存在してる。
なんか責任を地域に押し付けて、被害者(個人)を擁護するから個人がもっと責任に甘くなってる気がするんだよ。
はっきり言えば「親は何してたの?」って話が出てもおかしくないのに、被害者ってことで罪が全て加害者に転嫁されてる。
もちろんやらかした加害者が悪いけど、被害者にも「なぜ?」って問いかけないと、地域が背負う負担が増すだけでしょ。
地域コミュニティがいくら手厚く見守ってるっても限度があるよ。
あと、どうも勧善懲悪を推進したがるSNSの人って『善人信仰』が強い気がした。
もしかして善人は一生善人とでも思ってるんじゃないかな。
善人信仰者「おれは何があろうとも道を踏み外さない!」
↑どんな人間だって潜在的にリスクを抱えていると思う。
一片の曇り無く決して動じない人間なんて2次元だけでしょ。
善人は善人のまま変わらない保証なんてどこにもない。
3次元に生きる人は時間と共に変わりゆく存在だと思う。
例えば男の子がオナ禁3週間の時、絶世の17歳美女が誘う踊りをしてきたら心が揺れる可能性高いでしょ。
そういう分かっちゃいるが止められないみたいなのが犯罪を駆り立てる可能性だってある。
書いてて思ったけど、今のニュースやネットで見られるコメントってあまりにもクリーンで分かりきった当たり障りない正論に持って行こうとしてる。
専門家のコメント、本当にニュースに必要なのかな?
そこが多分引っ掛かったのかもしれない。