【概要】
ジョジョ好きには有名な「カーズは考えるのをやめた」というセリフ。
思考停止は気が楽だし、気持ちいい心地いい。
でも、それを利用されたらもう人間が人間じゃなくなる気がする。
考えることをやめて他人に隷属して生きることを選ぶ人。
確かに気楽だし、自己正当化もしやすいとは思う。
でもさ、それって人間でいる意味あるのかって問題は出てくるよね。
【内容】
才能0と言われていたけど、実は超良血統だったとか多すぎる。
2039年1月、人類は地球からいなくなっている。
そして、1月以降、人類は、神のほうに進化し「神人」になる者があらわれる。彼らは数次元以上の知能と能力をもつ、あらゆる危機や問題は『神人』が解決してくれる。残りはただ操られ、働いたり楽しんだりする完全に受動的な「ロボット人間」と化している。「ロボット人間」は「神人」の言いなりになって気楽に生きていける。
↑ヒトラーはこのような予言をしている。
近頃これが肌で分かるようになってきた。
操る者と操られる者、支配する者と支配される者の二極化。
金を持つ者があらゆる力を蓄えることができる。
現代社会において、権力の源は財力にあると思う。
逆に、持たざる者は本当に力を奪われてしまう。
暴力反対が浸透している背景には貧者の唯一の力を圧制する思惑があるんじゃないかって思うぐらい。
それぐらい、貧者はすべての生き血を吸われる状況になってきている。
僕は『才能を活かせないこと』が一番嫌いだ。
人間の成長は環境に大きく左右される。
貧富の差で環境に優劣が付くと考えるのは失礼だけど、富める者がより良い環境を享受しやすいとは言えると思う。
環境が悪いおかげで、才能溢れる人間がそれを活かすことなく沈んでいくのは悲しい。
貧困を解決したいと望む背景には、『すべての才能が花開きますように』って想いが込められているのかもとか考えちゃう。
でも、そこで対立するのが『努力』という壁なんだよなあ。
才能レベル100「回り道は多いけど、そこそこ頑張ってるよw」
才能レベル80「一心不乱に夢を追いかけ、叶えるために頑張ってるよ!」
↑才能主義で行けば、レベル100を応援するべきなんだよけど…
今の社会はレベル80に同情して応援する人間が増えている気がする。
というか、漫画やアニメは大抵レベル80を主人公にしてる。
けど、その流れは今や崩れてきてると思うんだ。
自分が溺れていることは分かっても、溺死するとは思っていない人たち
才能レベル50「才能無くても好きだからやるんだ!」
才能レベル100「才能ないから止めたほうがいいよw」
↑漫画では絶対肯定されないセリフだよね。
「努力が天才を打ち負かす…!」
なんて響きの良い素敵な言葉なんでしょう!
しかし努力の天才ロック・リーも八門遁甲を開く天才だったという…
悲劇ですよ、もうヽ(`Д´#)ノ
才能が無く、全然ダメだけど必死に頑張る姿に共感して惚れたというのに、実は天才。
なんつーか、なんだか淋しい気持ちになる。
そんな時って、何だか考えることを止めたくなるんだよね。
思えば、考えたり、悩むことは大変だ。
意識を主体的に能動的に動かすからとても疲れる。
何より、神経をすり減らす。
でも考えてみれば、人間が金をいくら持とうが結果的には快感を求めるんだよね。
金を使うとより多くの快感を満たしやすくなる。
美味しいもの食べたり、贅沢したり、Sexしたり、遊んだり…
気持ちいい気分に浸れる機会が増えていく。
じゃあさ、もし将来、快感を機械から直接受け取れる装置が発明されたらどうする?
ヘッドマウントディスプレイを装着して何でも空想が実感出来たらどうする?
それにお金も掛からなかったらどうする?
逆に支配する側は悩みキズつき想いを抱える存在だ。
支配しているけど、自分は常に自分であり、現状から逃げることは出来ない。
でも、お金はあるからやはり何でもやりたいことは出来る。
支配されて思い通りになることは少なくてもずーっと妄想と快感の世界に浸れるのなら最高だと思うか。
それとも支配して思い通りに愚民を操り支配欲を満たす代わりに、危機や問題に頭を悩ませ続けるのか。
僕は、ヒトラーが言った二極化した人間の一方を『快楽に溺れきる』人間だと思ってる。
快楽依存症を意図的に作り出す、まるで麻薬のような機械を使って支配される人間。
働くことで得られる報酬は『自身が望む快楽』になる。
だって金は経験を買うものであり、要は快楽を満たすものだから。
じゃあ、食欲も睡眠欲も見栄もあらゆる欲求を快楽として提供すればOKでしょ?
食べることでなく、食べたという実感、満足感を与えればOKみたいな。
そんな夢を見た気がする。